■世界遺産を考える 2  (No.408)

世界遺産論で学んだことについて述べる。

  「世界遺産論」の講義から

「世界遺産論」の講義は,京都嵯峨芸術大学 真板昭夫 教授によって進められた。先生自身,ガラパゴスなどを始め,これまでいろいろな世界遺産関連の仕事に携わって来られており,日本の世界遺産にも造詣が深く,特に各地の文化遺産,自然遺産の仕組みづくりなどにも参画されておられ,話題は豊富である。

講義は,なぜ,@世界遺産の指定が必要なのか?A誰のためか?B何を守るのか?C遺産を守り続ける仕組みとは?などテーマを設定し,ビデオ,資料などを用い,学生に考えさせ,毎回のようにレポート作成とその発表,ディベートを行いながら,世界遺産の本質に迫ろうと試みられている。学生は50人程度,京都嵯峨芸術大学の学生が殆どであるが,他の大学からも数人が受講している。

学生は平成生まれと云うから,私の息子と孫の中間の世代である。のんびりと平和に育った若者なので,余り深い考えなどしていないのではと思っていたが,授業で繰り返される発表や意見を聞いていると,なかなかよく考えていると感心させられる場面も何度かあった。もちろん経験不足な面を覗かせながらも,世界遺産についての知識は幼なくとも,真剣に学び,自分の意見や考え方についてはしっかりと主張できる姿には,見直させられることが多かった。

  ケーススタディ1:屋久島

随分昔に見たNHK「プロジェクトX」の屋久島の世界遺産への取り組みのビデオを見せられる。昭和40年代,屋久島出身で,退屈な島を出た若者の一人である東京の学生が,屋久島の伐採で自然が壊されて行く姿を嘆き,地元に帰って伐採中止を叫ぶ取り組みを始める。一方,地元では伐採に関わる仕事で生活をしている多くの住民がおり,彼らは,「それで島が潤っている現状をよく見ろ」,島を出た人間が何を云うかと反発,自然を守ることだけで生活ができないと摩擦が起こる。

その頃,役場の職員が縄文杉の見つけ話題となり,自然の素晴らしさを訴える。しかし,住民集会を開き,屋久島の杉は宝だと理解はできても,多くの住民の生活を支えている基盤を無くすことはできず,国有林だったこともあり伐採は加速し,一部では8割が伐採された。その討論会から5年後,昭和50年代に入り,台風で土石流が発生し被害(伐採が原因)が出た。この事件で島民は森の大切さをしみじみと感じる。しかし,住民の意思とは反対に国有林のため国の伐採は止まらず,島民が鹿児島県庁(林野庁が出向)にまで,伐採中止を訴える。

それでも国は伐採を止めなかった(日本全体では杉の需要が強かった)。そこで,縄文杉の伐採論を打ち出し,世論に訴え衝撃を与える。そこで屋久島の自然を守れとの声が上がり,農林大臣が動く結果となり,大臣が屋久島の現状を視察し,ようやく伐採中止が決まる。その間,長い間自然を守るために戦い続けた人の執念が実ることになった。

屋久島は古くから国立公園に指定されていた。本来国立公園ならば,自由に伐採することは禁じられていたはずで,それなのになぜ,自然破壊がこれほど進んだのか?疑問を抱いた。先生からの説明では,屋久島すべてが国立公園の範囲ではなく,逆に国有林が多かったため,国の施策として木材の需要が高く,伐採して供給することが日本全体の生活を豊かにすることになっていた。昭和40〜50年代は,自然保護よりも開発優先の時代背景があったとのことであった。世界遺産までの道程は長かったが,屋久島の自然を誇りとし,未来に継承して行きたいとの強い思いの「執念」が,実らせたものであるように感じられた。

学生の間での,ビデオを観た感想では,つぎのようなものがあった。

  1. 美しい自然を未来に残す大切さを知った
  2. 林業者と自然保護者との対立,生計を立てている人との対立は必ずある
  3. 杉を見ているだけでは飯は食えない,との気持はよく判る,地元住民の理解が必要
  4. 自然と人間がバランスが取れていることが重要,最近の世界遺産登録は,本来の目的から外れてはいないか?
  5. 世界遺産は自分たちが大切に守りたいもの(歴史,文化など)を保護する手段として必要
  6. 世界遺産に登録されなかったら,自然が壊されてしまっていたのでは?
  7. イベントなど一時的には盛り上がっても継続は難しい,世界遺産への指定は継続ができる
  8. 愛着と誇り,この気持を世界遺産の登録で価値を認めて貰えた

  ケーススタディ2:熊野古道

次は熊野古道の事例で,道が世界遺産になったのは,世界で二番目で,スペインの巡礼の道に次ぐものだった。その古道は,江戸時代に作られた石畳があったが廃れて道が無くなっていたが,見つけ出し,保存会の人達の努力で清掃が行われ,観光客が歩けるような道に修復されている。世界遺産に登録されて10年が経過するが,いろいろな問題があるようである。

その一つは,広範囲に亘る山道なので,その保全がたいへんなようである。つまり,ボランティアでいろいろな保存会のメンバーが分担して,保全のための清掃,道の補修などを行っておられるようだが,そのメンバーの高齢化が進み,保全が十分行き渡るようにできない現実があるようだ。もちろん,観光客への協力の呼びかけもされているようだが,思い通りには進んでいないようである。山道は,単に人が歩くだけでは維持ができない。文化財としての価値を失わないようにする努力が続けられてはいるが,いつ危機遺産リストに入ってしまうかもしれないようである。

世界遺産となったことで,外国人を始め多くの観光客が来ること自体は歓迎されていることであるが,必ずと云ってよいが,観光客がまき散らす多くのゴミが問題になる。マナーの問題とはいえ,深刻なことのようである。ゴミ箱を設置しても,それが満杯になるなど景観上の問題となり,対策としてゴミ箱を撤去されると共に,ガイドの啓発活動などにより,観光客に自らのゴミは自分たちで持ち帰るように呼びかけ,その結果ゴミ問題は解決されているようである。

また,地元住民の中には,林業が思うようにできなくなり反対の声もある。世界遺産の登録により,規制が掛かり,思うように仕事ができなくなっている現実があるようだ。元々,世界遺産への登録を急ぐ余り,地元の地権者との合意が十分なされないままに登録された経緯もあるようで,地権者の怒りが熊野古道の道端の木に落書きとして現れ,他では見られない問題も残っているようである。何度かの話し合いにより,落書きは減少したものの,まだ一部には残っている場所もあるやに聞く。

世界遺産は誰のためか?を考えさせられる事象である。やはり,地元住民が喜んで参画する世界遺産でなければならないし,そうでなければ,熊野の良き文化を後生に永く受け続けられるものにはならないだろう。

  ケーススタディ3:富士山

上記の屋久島や熊野古道と違って,富士山は放置しておくと廃れてしまうものではない。また,自然遺産では落選しており,再選はあり得ないと云われていたのに,なぜ,文化遺産として登録されたのか?富士山は日本の象徴の山として人気があり,世界遺産に登録されなくとも観光客は多い。むしろ,観光客の増加による登山の危険やゴミ処理の問題などリスクが結構多い。それなのに,なぜ世界遺産に登録されたのか?世界遺産の登録に異議を唱える声も多い。

富士山の自然は美しく優雅であり,日本の象徴として古くから崇められている。それは富士山が,他の日本の山とは違って信仰の山であり,古来,浮世絵,詩などの対象となり,富士詣など全国各地から富士山を目指して参詣する人も多い。つまり,自然の美しさもさることながら,日本文化の代表的な対象物にもなっている。こうした日本人の拠り所として文化遺産に認められたものである。全くその通りではあるが,自然遺産と文化遺産を併せた複合遺産への登録もあったのに,自然遺産の価値を認められなかった背景をよく考えてみる必要がある。

ここでも世界遺産に登録されることに対する賛否両論の対立がある。夏山のシーズンに約30万人の人が訪れる富士山は,観光客で溢れている。しかし,観光客で潤っている地元の商店などは,世界遺産に登録され,さらに観光客が増え,販売増が期待できると歓迎する。一方,富士山をよく知り,自然を大切にしている人々は,これ以上の観光客は危険やゴミの大量発生などの問題が発生すると警鐘を鳴らしている。

実際,ユネスコの世界遺産登録に対して,富士山は条件を付けられているようである。詳細なことはよく判っていないが,登録後の3年後2016年2月までに,保全状況報告書を提出しなければならないことになっている。その中には,登山道の受け容れ能力を研究して来訪者管理をどのようにするか,登山道及び山小屋,トラクター道の総合的な保存方法の検討,緊急危機(噴火・火災など)対策,周辺開発の制御などについて課題を投げかけられているようである。それらを明確に回答できないと,危機遺産もしくは登録抹消になるリスクを負っているようである。

野口健さんなどのアルピニストが,富士山の実態を嘆き,清掃活動を始めとする,世界遺産に相応しい富士山にするための取り組みを地道にされている。その活動を詳しく知っている訳ではないが,インターネットなどの意見を見てみると,私達が想像する以上に富士山が汚され,あの秀麗な姿には似つかわしくない実態が暴かれている。それらからは,明らかに自然遺産とは言い難い内容を露呈している。世界遺産登録がきっかけで,ゴミの問題など解消されればよいのだが,現実問題はそのようにはなっていない。

信仰の対象としての文化遺産と云いながら,周辺の湖で,モータボート,ジェットスキーなど文化遺産に相応しくない面をイコモス(ユネスコの審査機関)は指摘しており,これらは世界遺産になる前までは,レジャー施設として多くの観光客に親しまれ,それで生活している地元の観光業者も多いようである。ところが,世界遺産になったが故に,そうした観光業者の生活を脅かすことにもなっており,大きな問題になっているようである。

また,別の問題では,富士山麓に広大な自衛隊の演習場があって,世界遺産には似つかわしくない裏側の実態がある。厳密には,世界遺産には,構成資産(コアゾーン)とその周辺の緩衝地帯(バッファーゾーン)とがあり,これらがユネスコの監視下にあり,演習場はこの地域には入らず,国・地元が自主管理する「保全管理区域」で,さらにその中にある米海兵隊キャンプ富士は,この保全管理区域からも除外されている。全体の地形をみれば,明らかにいびつな区分けに疑問符を付けざるを得ないものである。

ただ,ユネスコが指定する世界遺産には,世界の中にはこのような軍事区域を抱えたものもあり,世界遺産としての手続き上の問題は無いようである。ただ,素直な気持ちで考えれば,文化遺産として認められた富士山と,その一方で山肌などげ削られていく演習場の存在とは相容れぬものがあり,この矛盾をどのように解決して行くかは,残された課題である。

  ケーススタディから見えるもの

世界遺産とは,真に誰のものなのだろうか?世界遺産登録が,どれほど価値のあるものなのか?確かに,貴重な財産・宝が消え去ってしまうことは嘆かわしいことであり,且つ取り返しがつかない重要なことである。だからと云って,地元住民を始めとする,そこで生活している人の権利を奪ってしまって良いものではない。もちろん,利害の対立は大きさの違いはあれ,どこでも起こる問題である。

多数決と云う単純な合理性ではなく,殆どの人が十分納得できる世界遺産でなければ,永続きはしない。世界遺産は一時的に観光客を集めるものではない。如何に,永続的に後生まで,守り続けられる価値あるものでなければならない。いろいろな問題を目の辺りにして,世界遺産に登録されていなければ,どうだっただろうかと,果たして本当に世界遺産に指定されることが,みんなの幸せになっているのか考えさせられる一面があった。

 

世界遺産登録の背景にはいろいろな利害が絡んでいる

[Reported by H.Nishimura 2015.01.19]


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