■2015年の新春に思うこと (No.406)
2015年の正月を迎え,新たな気持で,このエッセイを書き綴っている。
政治のこと
安倍政権が昨年末の総選挙で信認され,自由民主党と公明党で衆議院の2/3を押さえ,巨大与党となっている。憲法9条の改正までは行かないまでも,集団的自衛権などの行使容認をさせようと法律を作成しようとしている。これまで日本国憲法の下で平和主義を唱え,自衛隊の派遣も極めて限定された場合に限って行使して,世界各国からは平和を維持しているイメージが持たれていた。
しかし,現在の安倍政権は,世界の情勢の変化を日本だけが見過し,これまで通りのやり方では限界が来ていることを察知し,集団的自衛権を行使できる普通の国に近づこうとしている。日本の平和を維持するには,必要不可欠なことだと主張しているが,公明党に配慮した極めて限定された自衛権行使に止めざるを得ない状況になっている。
普通の国になること自体悪いことでもないが,これまで日米安全保障条約の傘の下で,日本の危機に対してアメリカが保証してくれるという他国の攻撃に対する抑止力が働いてきた。集団的自衛権行使容認派は,こうした抑止力も米国の力が落ちてきた現状では,十分発揮できる状態ではなく,日本のリスクが高まって来ていると説明する。一方,反対派は,これまで平和を維持できてきた実績があり,日本の危険性はこれまでの個別自衛権で十分ではないかと反論している。
一番気掛かりなのは,野党に元気が無いことである。国会に明確な対立軸が無く,ただ一方的に反対しているのでは国民にとって不幸である。侃々諤々とまで行かなくとも,国民が聞いていてなるほどと感じられる議論をした上で,結論が導き出されるものが見たい。現状は最大多数の自民党が一方的に,自由気ままに押し通してしまっている感が強い。野党連合はそう簡単なことでは進まないことは十分承知しているが,もう少し強い野党ができることを望んでいる。それが議会民主主義の本来の姿であろう。
自分たちの改革を含め,改革に積極的な党は維新の党でしかない。維新を推している訳ではないが,改革を促進することを主張されていることには大いに賛成である。議員自身,国民の生活から離れた位置で見ている人が多く,国民の多くが消費税で苦しんでいることを知りながら,自分たちは給料を上げるなどのうのうとしているのは,どのような感覚なのだろうか?今年は,何としても議員定数削減など自らの改革を実行して貰いたいものである。
経済のこと
アベノミクスが未だ道半ばで,この道しかない,と云うのが安倍総理始め,自民党の主張であるが,本当にそうなんだろうか?確かに,安倍政権になって,円高の解消,株価の上昇,デフレマインドの脱却とそれなりの効果があったことは認める。経済が成長しない限り,日本の成長はなく,日本の将来も無いことは明らかである。ただ,アベノミクスの効果が,政権与党の政策に依るものよりも,日銀の金融政策(これも政策の一部かもしれないが)におんぶにだっこの状態で,公共事業の促進による税金の無駄遣いや自らの身を切るような改革が一向進まないのは,元の自民党に戻っているのではないかと,疑いたくなるのは私だけではないだろう。
法人税の減税,相続税の減税など,企業が元気になり賃金にも反映できるような施策や,お金を持っている富裕高齢層から若者への分配が勧み,市場が活性化する施策は打たれているが,本当に狙い通りになるかどうかは余談を許さない状況である。テレビの討論でも云われていたが,日本の余りにも低成長な状況下では全体が元気にならず,各個人も当然停滞した状態であり,グローバル的に成長する日本を取り戻すこと(成長率が2〜3%程度)は,世界全体が成長が緩やかになっている中で最先端を行こうとしているのではなく,平均的な成長を目指すことで,十分可能な成長である。それによって,日本全体が元気になること(全員が元気になることとは違う)が重要である。
すぐに,格差が拡大する,都市部と地方との格差を云々する声が上がるが,成長する過渡期にはやむを得ない現象で,全員が平等に成長を獲得できるような状況は資本主義社会ではあり得ない。成長過程で,格差が広がるのを抑制するのは,政権与党の施策で,セーフネットや地方の支援策を講じることである。アベノミクスは格差を広げるので反対と云うのは,政権与党の施策が不十分なことを指摘するのであれば当てはまっているが,経済成長そのものを否定することを主張するような声はどうなんだろうか,と云う気がしてならない。
アベノミクスによって,我々年金生活者が年金を抑えられ苦しくなっているとの声も聞くが,確かにそうした生活ギリギリの年金者が多いことも事実ではあるが,全体的には,若者世代を元気にさせることに税金が廻り,経済が活性化することの方が余程重要な施策である。消費税増税を年金の赤字財源などに充てることは,最下層の高齢者の年金生活者には必要なこと(高齢者の切り捨てにならないように)だが,一般労働者層の賃金が上昇し,日本全体が元気になることの方が最重要で,こうした成長戦略を下支えするアベノミクスこそ,国民が願う姿ではないかと思っている。
道半ばとの表現はどうでも良いが,政権与党として如何に成長戦略に関わって行くかが問われる一年であろう。
技術の進展のこと
昨年は技術に関していろいろな出来事があった。先ず,特筆されるのは,青色LEDのノーベル賞受賞で,赤崎勇氏,天野浩氏,中村修二氏の3人がその栄誉に輝いたことである。しかし,よくよくその内容を吟味してみると,最新の技術成果ではなく,20世紀後半,1980年代から90年代に掛けて,並々ならぬ努力をしてこられた成果なのである。もちろん,我々が知らないだけで,現在も,青色LEDに匹敵するような技術開発をしておられる面々も多く,日夜研鑽しておられることだろう。技術の進展は,一朝一夕ではムリで,長年継続して,それも多くの失敗を経験しながら,狙った目標必達に向けての努力の賜物でしかない。
我々の生活が豊かになり過ぎたせいか,話題になる画期的な新製品が見当たらない。もちろん,最近の若者の必須の持ち物になったスマートフォンなど,生活様式を変えるような製品も出ていることは認めるが,果たして我々の生活が豊かになって行っているのだろうか?高度成長期を技術中心の生活で過ごしたせいか,何となく寂しい気がする。我々の時代では,トランジスタ→IC化(集積回路)→マイクロコンピュータと形も変化し,ICの集積度も年々進み,高集積化されたマイクロコンピュータが,これもまた膨大なソフトウェアを搭載できるようになり,殆どのことがソフトウェアで処理できるような技術革新が次々起こり,技術の陳腐化も目まぐるしかった記憶がある。そうした経験を積んだ世代だから,そのように感じるのかも知れない。
一方,知識が不十分なせいでそう感じるのかもしれないが,医学の進歩は確実に進展しているように感じられる。IPS細胞の発見で,再生医学治療などに明るい兆しの報告がなされている。人間の病気にはまだまだ原因が未解明な難病も多い。工業製品と違い,人間という生き物を扱い,生命と云う尊厳なものを扱う技術なので,慎重なことはもちろん,症状も千差万別で解明に時間を要することも頷ける。これ以上寿命を延ばす技術よりも,難病で苦しむ人の役に立つ技術の進展を願うばかりである。
そんな中,昨年はSTAP細胞の話題で一年間右往左往したように感じている。話題性があるものに群がるのは人間の習性で,残念な結果に終わったのは,小保方さんと云う若い女性研究者の失敗と云うより,それを支えた多くの研究者の科学に対する真摯な態度が取れなかったことだろう。思い込みや失敗は若いときにはあるもので,それを見抜くどころか,利害・利権など欲にまみれたとまでは行かないまでも,それに近い争いの中に置かれた研究者の弱点だったのではないか。技術の進展の大きな足枷になってしまった。そうしたことに対する反省が余り感じられない説明には納得が行かない思いで一杯である。
自分の趣味のこと
この歳になって多趣味で,毎日が趣味三昧である。健康的な生活で,今年一年もこのまま続けようと思っている。一年中の菊作りを始め,健康維持,体力維持のためのテニス,春の桜,秋の紅葉の時期を中心に風景写真を撮りまくり,ときにはビデオを同伴して撮影を,またテレビで放映される絶景・風景・紀行,有名な映画を観てDVDに収め,更には,毎週ここにアップするエッセイを書き綴り,もう一方で,高校の同窓のホームページの運営を任されている,など毎日やることが一杯ある生活である。各々内容はまた折に触れて紹介もするが,こうした優雅な生活を続けたいと願っている。
結構お金も時間もバカにならないほど掛かるが,趣味とは,時間・お金を気にせず楽しくできることと定義しているので,全く気にならず他人から見ると滑稽なのかもしれない。本人が楽しんでいるのだから他人がどうこう言うものでもないだろう。
2015年を健康で楽しく過ごしたいと願っている
[Reported by H.Nishimura 2015.01.05]
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