■吉田調書 〜福島第一原子力発電所事故〜 を読んで 3 (No.393)

当時の菅総理大臣,枝野官房長官,福山福官房長官,海江田経済産業大臣,細野内閣補佐官など政府関係者のヒヤリング内容を読んでみた。事故発生直後の生々しい状況が再現されており,いずれも当事者感覚でもって対処されている様子が伺える。ただ,官邸と民間とのギャップがあり,官邸の言葉や行動が他の人に与える影響をあまり考慮されていない様子が伺える。

  菅総理大臣

自分が政府の中でも技術屋で,原子力発電のことを一番判っていると自負されている様子が窺い知れるが,総理大臣としての言動が廻りにどれだけ影響を及ぼすかについては全く判っていない。最高責任者に正確な情報が素早く届かないことに苛立ちをしている様など,他の人が云うように,イラ菅がもろに出てしまっている。

原子力のことを少しでも知っていると知ったかぶりする例は,海水注入における再臨界の可能性があるのではと言いだしたことである。それに対して,無いとは云えないと班目委員長が言ったものだから,武黒フェローが吉田所長へ,海水の注入を中止するよう指示している。吉田所長は現場の状況からそんなことをしたらたいへんなことになるので,無視されたのでよかったのだが,菅総理の言い分は,再臨界と海水注入は関係ないと言い訳をしている。原子力の技術者ならそんなことあり得ないと言い切っているが,後からは何とでも言える苦しい言い逃れでしかない。

これも周りの人の言葉だが,菅総理大臣のやり方はイベント型で,きっちり計画性をもって組織だって仕事をするタイプではなく,必要なときに必要な人を集めてきて乗り切るタイプで,事故処理の対応も当にこのやり方で,必要な参謀を傍らにして判断していくやり方だったようである。事故直後の混乱した状況の中では,こうしたやり方もやむを得ない一面ではあるが,総理大臣として,最高責任者として,組織を運営するには,十分人を使いこなせないタイプと感じられる。

だから,保安院がだらしなかった状況とはいえ,直接東電とやり取り,それも現場で一時も惜しんでもがいている吉田所長に直接話をするなど,本人はよく理解でき,吉田所長は信頼できる男だと評しているが,相手の吉田所長は,わざわざ総理が出てくるなんて邪魔もよいところだと憤慨されている。このニュアンスを全く判っていない。ただ,菅総理のやり方がすべて拙かったとも言えない気がする。果たして,今の総理,安倍首相だったらどうだったかと考えると,五十歩百歩のような気がする。同じように現場のことを当事者として考える資質には疑問符が付く。

  海江田経済産業大臣

菅総理に続く責任者の一人,海江田経済産業大臣も,もう一つはっきりしたところが見当たらない。東電撤退の件では,清水社長から携帯電話で受け,「撤退」という言葉ではなく「退避」と云う表現だったと言っている。第1から第2へ退避するとのことで,周りの人に確認したところ,第1は退避すれば爆発の危険性が高く,退避するのは無理と伝えたと言っている。

ベントの指示は海江田大臣が指揮している。吉田所長とも直接話されベントをやってくれる確認をしている。これは,武黒フェローなどを通じて現場の確かな情報が得られないからである。また,海水注入もなかなか進まないので,東電の本店などに不信感を抱き,躊躇しているのではないかと感じ,海水注入の命令を出すぞと,脅している。苛立った様子がよく判る。

菅総理の発想で,東電から正確な素早い情報を得るには乗り込むしかないと行ってみると,ハード的にはしかりしたものがあり,統合本部として指揮命令をするには最適の環境が整っていたと述べられている。

経済産業省の傘下にある保安院は,やはり推進庁である経産省に規制庁があること自体,拙いことで,分離すべきだと言っている。

  枝野内閣官房長官

国民に情報を伝達していたのは枝野官房長官で,テレビの前での話しぶりは,ややもすると国民に不信感をもたらす場面もあったが,当時の情報が正確に伝わらないなかでは,孤軍奮闘されていたようである。

東電の撤退問題は,清水社長から電話が掛かり,全員撤退するとの認識だったとはっきり述べられている。自分では判断できないと応えたとのことだが,わざわざ官邸の何人かに電話してくるのだから,よほどのことであって全員撤退の主旨だった,と。チェリノブイリほどの爆発が起きたら,そこに居る人は全員死ぬことになるので,軽々に判断できなく,総理を夜中に起こして報告した。菅総理は明快で,撤退などあり得ないと即断だったようである。

今回のような大きな事故は,国際的には事業者が全責任をもって対処すべきことで,役所は口を出さないと云うのが標準的だが,東電の当事者能力の無さから致し方なかったと感じている。日本ではこれだけの大きな問題で自衛隊を派遣しなければならないような事態では,政府も事業者と同等の情報をもって判断・行動しなければならないが,そうならなかった。

屋内退避も発令しているが,一旦発令すると容易に解除できないことを後で知り,反省している。

広報を担当していて,情報は正確に隠さないことをモットーにして当たっていた。だから,東電の次から次へと情報が明るみに出てくることに非常に不信感を抱いていた。

要は,緊急事態で情報の一元化が図られず,現場の吉田所長ですら,最初は情報が得られず困惑されていたのだが,東電に於ける情報伝達の拙さ,更には官邸への伝達は,本来保安院が務める役割だが,肝心なところで役割が発揮されず(できない能力の人の集団だったことが後から明るみに),国民に対する正確な報道はされないままに時間だけが過ぎた感が否めない。

  福山内閣官房副長官

感心したのは,的確にメモを取られており,ヒヤリングの内容が,時間的にも的確にメモによって再現され,他の人の混乱事態でのあやふやな記憶とは一線を画している。特に,枝野官房長官とは対照的である。

東電の撤退する情報も,総理を含め官邸の人間が集まって判断する場面なども,清水社長が来られ,総理とのやり取り,さらには東電内部に総合対策室をつくるくだりなども克明に報告されており,一番分かり易い。

  細野内閣補佐官

一番冷静に反省点などを述べられている。原子力発電は多重の防御策は講じていたが,多様性に欠けていたと。非常用発電が一階の一番下にあったなど,置く場所がそこしかなかったと言い訳されているが,どこまでリスクについて考えていたのか疑問が残る,と。

東電内部については,自由に発想して,発言でき議論できるような雰囲気ではなく,風通しが非常に悪い。自由な意見が経営に反映されような会社ではなかった印象を持たれている。

事故発生して判ったことだが,保安院や安全委員会には,一線級の技術者が居なく,検査体制としても弱かった。人材の大切さを痛切に感じた,と。

今回の問題点として,安全神話で安全と言わなければならないので,今回のようなシビアな事故は想定されていない。本来,原発が潰れても絶対に放射能はまき散らさないことが大事なのだが,潰れないことを前提に設計されているので,対策ができていない。つまり,安全対策に大規模な投資をしなければならないとすると,それだけの危険性が伴っていることを示す結果となり,自己矛盾を抱えていたのである。

今回の大規模な災害に対応できる法律にはなっていなかったし,保安院などの指揮命令系統が不十分で情報が混乱してしまっていた。だから,官邸が東電と直接やり取りをせざるを得なかった,としている。しかし,東電側からすれば,原子力には素人の官邸がなぜここまで口出しするのかと苛立ちを感じていたのは,吉田所長を始めとする東電側だった。官邸が混乱に拍車を掛けたとまでは言い切れないが,吉田所長の,邪魔だった,と云うところだろう。

あるときから,吉田所長と官邸とのパイプ役を果たすことになっていたが,細野内閣補佐官から吉田所長に電話することは極力避け,正確な情報の素早い把握に留めていたようで,14日までに3回程度シビアな状態のときに情報を貰って官邸に上げていたようである。また,,一番シビアな状態のときには,吉田所長から補佐官に電話が入っていたようである。

撤退のやりとりでも,清水社長から枝野官房長官,海江田大臣に電話があり,その二人共が撤退したい意向と理解しており,その当時官邸で,武黒フェローが打つ手がなくしょんぼりしている姿や,班目委員長も徹底しかないと発言されたと述べている。そこで,菅総理が一言撤退なんてあり得ないと云うと,前言を翻し,総理の顔色を窺っている様をみて,こんな人が安全委員長なのか,と。

一方で,残れと云うことはそこで死ねと言っていることと同じことになるので,全員が躊躇したと素直に述べられている。

 

  さいごに

まとめではないが,官邸は,ベントだの海水注入など,原子力に関する技術的な対策に口出しすべき役割は持っていないし,その能力も無い。それを敢えてやらねばならなかったところに,大きな問題点を持っている。筋書き通りの役割分担を決めることは容易なことではないことは十分理解できるが,本来の役割分担を全うできるような緊急対応策にすべきである。

今回の官邸の対応は緊急事態としてやむを得ない一面であったとはいえ,本来役割を果たすべき保安院が正確且つ素早い情報を入手できず,官邸に報告ができなかったことにあり,東電の情報伝達にも大きな問題があったが,本来の役割を果たせなかった保安院の責任は非常に大きい。

そうした人事を認めていたこと自体は,日本の天下り体制などが現存する現体制から改めなければならない。原子力に関して,東電を専門家として技術的にも指揮命令できないような人が,のうのうと居る保安院では,今回のような大事故でなくても役立たないのだろう。管理監督は権威だけでなく,専門的に上回った知識や経験が必要である。

東電側や保安院,安全委員会のヒヤリングが欠落していて,やや物足りなさを感じずに居られない。東電や保安院,安全委員会の言い分もあるだろう。それが公開されない(多分ヒヤリングはされていると思われるが・・・)理由がどこにあるのだろうか?よく判らない。彼らこそ,素直に反省して国民に知らしめることこそ,二度と同じ過ちを繰り返さない教訓になるのではないか?個人を責めることになるので,配慮されたのかも知れないと思いつつ・・・。

二度と同じ過ちを繰り返さない教訓を活かされるように望む。

 

[Reported by H.Nishimura 2014.10.06]


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