■吉田調書 〜福島第一原子力発電所事故〜 を読んで 2 (No.392)

膨大な吉田調書を読み終えた。前述したように,原子力の専門用語がひっきりなしに出てきて,理解ができない部分がかなりあり,大まかな流れしか読み切れなかったのは正直なところである。ただ,吉田所長と云う人がいたおかげで,大事故で日本を滅ぼしかねない危機を救ったのだとしみじみ感じた。

  繰り返し読んでみて

実に長い調書であるが,一部分のヒヤリングは,吉田所長の記憶を定かにするために,当時の様子のDVDの録画を見ながら,丁寧に細かく切って,想い出して貰ってヒヤリングをされている。咄嗟の出来事で,記憶に飛んでしまっている部分があっても当然のことである。一つひとつの事象に対する詳細なヒヤリングにも誠実に答弁されている姿はすばらしいものと感じる。

現場のひとときも余談を許さない中で,吉田所長を始め,現場の作業員(東電の社員を含む下請け企業の社員)の決死の努力,判断,行動力には頭が下がる思いである。それだけに,吉田所長に,邪魔なとまで云われた本店や官邸の現場を知らない余計な指示命令をしているだけの人々は本当に疎ましく感じられる。

ヒヤリングの中で吉田所長も冷静に反省されている部分も多い。例えば,東電がまとめたと云われているアクシデントマネジメントでも,同時に全電源が喪失することは想定されていなく,どこかが生きていれば,そこから1,2日での復旧が可能だと見なされていたようだし,柏崎の原子力発電所が中越地震で想定外の地震が起こったとき,意外と無事に稼働したことなどから,地震に対して変な自信のようなものがあったと思われている。

また,全世界に400から500の原子炉があり,それらが平均20年以上稼働しているが,今回のような事故は,今まで一度も起こっていなかったことなどから,甘く見ていたと述懐されている。

こうした,現場の責任者の素直な反省点は,次の世代の人が確実に受けとめ,活かすことが大切なことなのである。

  事前の地震・津波対策について

よく云われている地震・津波の件で,「貞観の地震・津波」があり,これらについて,以前にどれだけ検討されていたか,ヒヤリングされている部分がある。

そこでの検討では,土木学会などでは,当時の津波は福島では3,4mであり,防波堤も現在の6mで十分とみなされている。一方,理論計算上では10mを超える津波が押し寄せる危険性はぬぐい去ることはできず,これの検討もされたが,東電の原子力発電所だけの対策では,防波堤を沖合に作る必要があり,反って周辺住民に被害を拡大する危険性を伴い,日本として検討するべきだとの認識だったようである。

今回のような地震・津波に対する対策は,確かに原子力発電所として不十分な点は認めなければいけないが,1000年に一度来るか来ないか,と云うようなレベルの危険に対して,如何なる予防策が適切かは十分考えさせられる内容である。もちろん,対策が容易にできるものなら誰も迷いはないが,やはりある程度の費用対効果,人の命には代えられないとは云うものの,現実の問題としては出てくるのではなかろうか?

ただ,国を滅ぼしてしまうような危険を伴うと云えば,費用云々の話ではなくなるだろう。今回の教訓がどれほど活かされるか,それらを判断するのは,当に貴方自身なのである。

調書の中には出てくるが,保安院は何の役割を果たしていたのだろうか?安全基準を決めたり,その遵守を見守ったりする役割なのかも知れないが,こうした今回の事故に対しては,自分たちには全く責任の無い,当事者意識の全くない役所であるように映る。関係者に意見を聞いて,指示命令をするが,それ以上は何も責任を感じていない。文化系の人間でよく判らないなどとの逃げ口上は言語道断である。

  吉田調書を読み終えて

冒頭にも書いたように,前代未聞の大事故に敢然と立ち向かい,日本の総理を始めとする中枢の幹部を向こうにまわし,毅然たる態度で,自ら身体をはって現場最優先の的確な判断をできた人だと改めて感じた次第である。

東電の体質と云われるが,吉田所長以外の東電幹部の立ち振る舞いは,どこの大企業でも似たり寄ったりで,要領よく上に取り立てられた人が出世しているのは,いずこも同じである。だから,上の顔色を窺うことに長け,責任の所在を自らから避ける基準で物事を判断する。まして,切羽詰まった緊急事態では,よりその色合いが自然と出てしまう。当にそれが起こったのである。

「撤退」か「退避」か,危険が迫ったときの判断でも,現場から離れた本店や官邸の人々は,自らが主体となった判断でなく,人に責任を押しつけるがごとき判断でしかない。自らが日本を滅ぼしかねない当事者になっておれば,当然今回の吉田所長と同じような判断をした人が出てくるだろう。そうした意味からすれば,東電の本店も,ましてや官邸にあっては,当事者意識はなかったと云える。否,当時の多くの関係者の発言からすると,当事者になっていても,自ら逃げ出すような人では無いかとさえ,疑いたくもなる。

本当に,吉田所長が現場責任者であってよかったと,つくづく感じる。

(続く)

事故調査の生々しい報告を読みながら,再発防止を祈る

 

[Reported by H.Nishimura 2014.09.22]


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