■京都のものづくりの真髄に触れる 3 (No.303)
京都学「ものづくりの真髄に触れる」の大学講義より 続き
職人として極めても経営が成り立つとは限らない
今回,経営者と云える方はごく限られていた。つまり,個人商店として経営されては居るが,どちらかと云えば,技術・技を極めた職人として大成されている方が多かった。経営とは,現代を生き延びることは当然だが,将来に夢がなければ,経営ができているとは言えない。殆どの商品が時代の流れに流され,昔の日本の良さを失いつつある現代社会にあって生き延びることさえ困難な時代に遭遇している。だから職人として良いものを作るだけではいつしか廃れてしまう運命に立たされている。このことを認識していない人は居ないかも知れない。ただ,紹介された活動の中身からは,まだまだその厳しさに対処できるとは感じ取れない。
職人として伝統に支えられた良いものを作り続けることは大切なことであり,一生懸命努力されている姿は十分窺い知れる。将来を見据えるとそれだけでは不十分なのである。必要な条件ではあるが,十分な条件ではないのである。物づくりに全身全霊を尽くして頑張ると同時に,経営として成り立つ方策を考え,行動することが必要になっている。きつい言い方だが,まだまだ伝統で飯を食えると思っておられるように見受けられる。
今回ご紹介合った職人さんの中で,所謂,経営者として学んだことが無いと思われる方が殆どだった。もちろん,経営を座学で学ぶことだけではない。伝統工芸を一つの産業として育成できるような経営を目指そうとは誰一人されていないように感じられた。短い時間だったので,私が見抜けなかっただけかも知れない。或いは,テーマが物づくりの真髄だったので,そうした経営面の話が無かったからかも知れない。そうであれば私の思い過ごしだけで済まされるが,どうもそうではなさそうである。
立派な経営学を学んだ人がやれば上手くできるような簡単なことではない。難しい環境下に置かれた中だから,素晴らしい伝統技術を絶やしてしまうことが残念だから,経営的なセンスを以て,より素晴らしい技術に磨き上げて欲しいと願うのである。
技術の伝承のプロセスは曖昧
すべての物づくりに共通する点は素晴らしい伝統技術が受け継がれていることである。これまでの技術の伝承が徒弟制度的な親方から弟子へ(もちろん親子も含めて),長い見習い期間を経ながら,優れた技を徐々に身に付け一人前になり,やがてはのれん分けで独り立ちできるようになると云ったものであったと想定される。産業として現状維持もしくは大きく伸びているときは,このやり方でも技術の伝承は成り立つ。
しかし,現状は殆どが現状維持さえ困難と思われるような時代である。技術の伝承については,会社組織的なところも一部には見受けられ伝承される仕組みを構築されているようだったが,殆どは個人商店的な内容から,技術の伝承と云う観点では,些か危惧される状態ではないかとと思われる。即ち,将来的に発展していくモノが見られない中,細々と伝統を維持することに追われ,後継者育成や技術を伝承発展させるようなプログラムができているとは感じられなかった。
今回,ご紹介いただいた物づくりも多くは,親子代々からと云ったケースが多かった。つまり,親の背中を見て育った子供達が家業を継いでやっているケースである。他の物づくりでも同様だが,確実に技術の伝承が為されていくことは事実だが,個人商店として細々と維持されるのであって,どこかで途絶える危険性はある。つまり,技術の伝承と云うより,親子の絆で伝承されて行く姿である。これは悪いことではないが,技術の伝承と云うプロセスでは,些か心許ないものであるには違いない。
伝統ある素晴らしい技術の伝承を強く願う!!
[Reported by H.Nishimura 2013.01.07]
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