■京都のものづくりの真髄に触れる 2 (No.302)
京都学「ものづくりの真髄に触れる」の大学講義より 続き
伝統を守る,伝統を発展させる
講義の中で紹介があった物づくりを大きく分けてみると,伝統を維持・遵守することが中心のタイプと,伝統を活かしながらも現状維持に満足せず新たな領域を発掘しているタイプがおられる。
伝統維持・遵守派には,その伝統工芸を誇りとし,古くから代々伝わった木型や文様をそのまま使って,昔の良さを強調して製品・作品を作り出して居られる。江戸時代から伝わる木型などその伝統の重みがずっしりとくるようなものもあり,文様でも現在までそのまま残っていると云うことは,それだけ年代を経ても人気が衰えない選りすぐられたものとしていまだに使っておられると云う。当に伝統美なのであろう。
ただ,伝統あるものには違いないが,世の中の流れからは,日常品として使われなくなったものや,建築様式の変遷に伴って,現在の家庭では殆ど見られなくなっているものが結構ある。古き良き伝統として古い民家などに残ったものを貴重品として扱い,修理などがメインの仕事になってしまっている職業もある。伝統を守るためには不可避なことでもあるが,大きな流れとしては衰退する一途で,今後大きく発展する期待は薄い。
一方で伝統を活かしながら新たなことにチャレンジしておられるケースもあった。たまたま今回紹介いただいたものがそうだったのかも知れないが,どちらかと云えば伝統からはみ出した芸術品的嗜好の強いものになっているように感じられた。つまり,伝統産業を伸ばすには,破壊と創造と云われるように伝統品の枠組みを取っ払わないと新しいものが生まれて来ないようにも取れる。
日常品として新たな産業を起こす可能性があるようなものは殆どなかった。その人の持つ芸術性のセンスを活かし新たな作品を生み出しているものであり,それらが伝統を引き継いで大きな幹になって行くものには未だ育っていない。しかも,個人の才能に依拠するものでは,果たして次世代に伝統として繋がるモノかと云う点では大いに疑問が残った。
伝統を守ること,伝統を新たに発展させること,共にまだまだ課題を抱えた状態である。
産業としてより個人商店的ニュアンス
伝統工芸の技を活かした職業であるが,今回の多くは製作プロセスを一人ですべてをされているケースが多かった。つまり,作品を作るにも材料は購入するが,それ以降,使う型・道具なども自前で作っておられるケースが目立った。京都の伝統工芸品の中には,製造工程の各プロセスを分業しながら一つの産業として伝統工芸を守っておられるケースも多いが,今回紹介戴いた物づくりの殆どが,数人の職人さんを抱えてはおられるが,家業ですべてを賄っているモノが殆どだった。
このことは裏を返せば,京都の物づくりの中心は,産業として大きな職業(例.西陣織など)になっているもののあるが,今回紹介戴いた個人商店的なすべてが自家製で賄うタイプの物づくりが,それも伝統ある物づくりが多いことも判った。それは,日常品として使われる工芸品が時代の流れに適わず装飾品,宝飾品などと希少価値を基にした貴重な品としての物づくりに変貌してきていることを意味している。つまり,産業として成り立たなくなってしまっているようである。
戦後から今日に至るまでで,製作工程の一プロセスを専門として商売することが困難となり,その専門が途絶えることをくい止めるために,自工程へ取り込まざるを得なくなったのでは無いかと想定される。そうして細々と伝統技術を守り続け,しかもそうした中でも,需要が減り仲間がだんだん廃業に追われ,数少ない残った伝統工芸として頑張っておられる姿のように映る。
現世代は個人商店として何とか生き延びることは可能でも,これから将来どこまで維持できるかは定かでない職業も見受けられた。
日常品として廃れていく中での活動
繰り返しになるが,伝統工芸の多くが時代と共に日常品として使われなくなってきている背景がある。そうした中,何とか伝統工芸を後生にまで伝えたいとの思いは強いが,生計を立てることで精一杯,次の世代も苦労することは見えていると思われるモノも結構ある。芸術家として身を立てて居られる方も居るが,果たして今回紹介戴いた方は成功されたのかも知れないが,紹介されていない中でやむを得ず廃業に追い込まれた人も居ると想像する。
私は,電機業界の大量生産の経験しかないが,ライバルとの熾烈な競争に曝されて頑張ってきた。しかし,その時代も終わり,今は良いモノを作っても儲からない事業縮小の嵐が吹き荒れている。生き残りを賭けた戦場である。その活路は未だ見えていない。伝統工芸の多くは電機業界ほど急落ではないが,事業が徐々に縮小している状況は同じであり,その活路も開けていない。ライバルは居ないが,需要減少と云う見えないライバルである。
伝統工芸の復活を願う人は多い。しかし,願いとは裏腹に需要の減少は止まるところを知らない。どこかで踏みとどまることができる可能性を信じながら,伝統を誇りとして頑張っておられる姿は涙ぐましいようにも映る。商品としてモノは廃れて行っても,伝統ある技術だけは廃れないで残っていく方策は無いのだろうか?そうは言っても,技術は商品と共に磨かれるものである。技術は磨き続けることで光るのであって,磨くことを忘れては成り立たない。修理やリサイクルなど,どんな形でも,伝統ある技術を守り続けられる施策を見出したいと願うばかりである。
伝統技術を守る難しさを痛感!!
[Reported by H.Nishimura 2012.12.31]
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