■メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオ 1 (No.294)
NHKスペシャルとして二夜に亘って放送されたものである。岐路に立つ“日の丸家電”と称して,ソニーなどを中心に如何にしてこの苦境を乗り越えるかを語っていた。その直ぐ後に,パナソニックの今年度の決算予測が発表,黒字見通しから一転して大幅な赤字とのことである。続いてシャープも大幅な赤字。これまでの吸収合併による損益などとは言われているが,本当に家電は立ち直れるのだろうか?家電業界で働いてきた者として非常に気に掛かるところである。
○ソニーの原点復帰
放映の中心はソニーで,平井社長の行動が映し出され,苦境に立たされている原因は外的要因ではなく,ソニー内部の内的要因にあり,今ソニーが変わらなければ将来は無いと危機感を訴えかけている。その基となるのが,井深,森田時代の創業の原点(設立趣意書)に返ることであると強調する。要はこれまでのソニーらしさが無くなってしまっていること憂い,それを取り戻そうとしている。
過去を知ったベテランの面々が語るには,昔は開発を個人の裁量で自由にやらせてくれた。それだけの度量がトップにあった。その個人の自由な裁量が無くなったせいで,新たな顧客を感動させるような商品が生まれなくなってしまっていると云う。現在の技術者は自由に振る舞うことに制限を掛けられ,その多くが待ちの姿勢で仕事をしているという。これでは新しいものは生まれてこない。
要するに,ソニーがソニーらしさを忘れてしまっている現在,再度原点に立ち返って見直すことが,新たな企業再生の道であると信じて止まないのだろう。初心忘れるべからずとは,よく言ったものである。復活に向けて意識を変える,それを如何にしてやるか,である。
○なぜ,ウオークマンはiPodになれなかったのか
出井元社長が言うには,来るべきデジタルの方向性は,前にコンピュータをやっていたので,先は正しく,十分見通していたと。そう言いながら,結果的にそれに対応させることができなかったとは? なぜ,カリスマ的だった出井元社長をしてもできなかったのか?と云う思いは誰しもが疑問に感じる。反省の弁はあるが,明解な答えはない。
解説者によれば,その当時ソニーはMDを売り出すことに拘ったためとも言う。要はハードウェア部門を抱え,会社全体を見たとき,ソフトウェア時代の到来は判っていても,MDを殺してしまうような処置はできなかったからだと。確かに,出井元社長はソフトウェアにも明るかったかも知れないが,それを取り巻く経営陣は,ハードウェアで成功を収めてきた人が殆どで,ソフトウェアの進展をなかなか理解できなかったのではなかろうか。まして,MDと云う素晴らしい技術を持った商品を目の前にして,それを否定することはできなかったのだろうと想像する。要するに自己否定になってしまうからだ。
ウオークマンに続く,ネット配信で利用するメモリスティックウオークマンも,ソニー自身がレコード会社を抱えていたため,著作権などから,限られたものしかダウンロードできないという片手落ちの戦略で戦おうとしていた。それに代わりアップルでは,あらゆる音楽メーカと提携して,誰でもどこでも希望する音楽を気軽にダウンロードできるようにシステムを構築してしまっていた。これでは誰の目に見ても勝ち目はないのは明らかである。
iTunesからiPodへの展開をスティーブ・ジョブは構想していたと云う。アップルの戦略に危機感を抱いたソニーマンは居たが,経営陣に聞く耳を持つ人は居なかった。巨大企業になったソニーには素早く決断できる人が居なかった。組織の問題と片付けられているが,組織の問題と云うより,先を洞察する幅広い視野をもった人が育っていなかったことではないだろうか。ソニーは他の家電メーカと違って,異端児を輩出しており,ハード中心とは云えソフトウエアに長けた人も多く居たはずだ。ソニーにスティーブ・ジョブスのような先を見通したカリスマ的先駆者が居なかったことが明暗を分けたのだろうか。
出井元社長は,幅広い知識を持った,ネットワーク,コンテンツ,商品の連携が上手くできていなかったと云う。出井元社長にして,今更何を言うかと言いたいが,先を見通していたとの発言は,負け犬の遠吠えにしか聞こえない。判っていれば,一番やれる立場に居たはずなのに,と言いたい。周りに賛同者が少なくても,決断できるのが社長である。世界には大規模な組織運営とはいえ,強いリーダシップで強引に引っぱっている優れたリーダも居るではないか。出井元社長ひとりの責任では無くとも,一番の責任はあるはずだ。
○ソニーの現場での改革
新興国の売れる商品に特化の例として,インドのテレビ市場でソニーがトップシェアを占めている様子が映し出され,これは現地のニーズを実現できる技術はソニーにあることを証明している。このことはニーズを的確に掴めば,日本の技術力が大いに活かすことができると云うことで,こうした問題解決型のテクノロジーである環境技術,水技術などまだまだ拡大の可能性は大いにあると云う。
このように復活できるシナリオは幾つかあるようだが,どうやって16万人も居る巨大企業を変革し,自由闊達なものにするかが問われているのであって,まだまだその道程は遠い。平井社長は,エレクトロニクス業界の元気が日本の元気につながると信じて,変革しようとしている。
家電業界を歩んできた先輩として感じること
ソニーの放映に代表されるように日本の家電メーカが揃って苦境に立ってしまっている。高度成長時代は日本の物づくりが世界で優位に立ち,世界に向かって行ったのである。アメリカの凋落を見ながら,日本がどしどし攻勢を掛けていたのである。新しいものを創り出すと云うより,開発された商品を品質の良い,顧客に満足を与える商品として仕上げる量産技術は比類を見ないものだった。
もちろん,その陰には安い労働力で,長い生産ラインに若い女の子が並んで物づくりする時代から,自動機でものを組み立てる生産技術など,日本のその時代にあった特徴を活かした生産方式が行われていた。それが今も続いているのが自動車産業である。家電のようにデジタル化,ソフトウェア化が進んでおらず,組み合わせる技術に特徴があるからである。
デジタル化の象徴がソフトウェアの台頭である。技術者は機械,電機,物理,化学などモノとして形のあるものを扱っていたが,情報技術と称し,形のないソフトウェアとしてのアルゴリズムを組み立てて,コンピュータとしてのソフトウェア技術だったものが,あっという間に,家電製品の中にも搭載されるようになって行った。製品の機能として,ハードウェアでできていたことを実現できるソフトウェアの世界が拡がり,多くの技術者がソフトウェア中心に展開するようになってきた。
この大きな変化の中で技術開発をやっていた者として,初めて使ったのがソフトウェアを搭載した4ビットのマイコンである。各種の判断機能が1チップのマイコンに組み込まれたのである。ICとしてトランジスタを数百個集積した以上の驚きであった。そうして4ビットマイコンでいろいろなことが出来始めたと思っている内に,直ぐに8ビット16ビットとその規模と機能の拡大のスピードの速さになかなか付いていけない程だった。ハードでしかできないと思っていた機能をいつの間にかソフトウェアが次から次へと実現していく時代だった。さらに,インターネットで世界がつながるようになって,益々加速してきている。
我々のような,当時のハードウェアの技術者は欧米先進国に追いつけ追い越せと拡大して行った時代だったが,狙う目標が明確で,競う相手も明らかで,厳しさはあったが一歩ずつ階段を上りながら目標を到達することができた。今日はそうした時代とは比べものにならない世界の拡がりであり,そこで競争していくには,世界一との競争であり,競う相手もいつどこから現れるかわからないし,その開発スピードたるや我々の時代の数倍のスピードである。また,技術の陳腐化も激しく,常に先端を行かなければならない時代である。そうしなければ儲からない,どれだけ頑張っても利益を享受できない世界である。本当に厳しい世界であると痛感する。
創業者の原点に立ち返ることは大切なことである。しかし,それだけで復活ができるかというとそんなやさしいことではない。ベンチャーのような即断即決のできるスピード経営ができ,且つネット社会の将来を見通し変化に対応できる経営者が現れて欲しいものである。
(続く)
日本の家電を救う名経営者よ,いずこに!!
[Reported by H.Nishimura 2012.11.05]
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