■仕事を変わる 2 (No.291)

仕事を変わることについて続ける。

  自ら志願して異動

また昨今は,会社の意向だけでなく,本人の意向を重視して,本人が希望する職種にチャレンジさせる試みも行われている。丁度,高度成長期から低成長期に移行し始めた頃から,大企業を中心に行われ始めた制度で,当該上司の了解を得ずとも,他の部署へ異動できるシステムが始まった。どちらかと云えば,現状に不満を持った優秀な人材をそのままにして,モチベーションが低い状態に留めるのではなく,本人の能力が最大限発揮できると思う職場への異動希望が適うと云った試みであった。

もともと,人事評価のシステムの変遷の中で,上司と部下が今年一年間どのような挑戦をするか,目標を何にするかなど,お互いに話し合い,その挑戦目標に対して結果どうだったか,など,部下育成を含めたプログラムがあった。そうした中でも,時代の変遷で,誰もが同じ方向に頑張っていれば良かった高度成長期から,低成長期となり,同じ方向で頑張るだけでは成果が出なくなった時代になると,何を目指すか,その方向付けが非常に重要となった。

そうした状況下では,成果を出すためにはどんな事業をするか,何を選択するかが非常に重要なこととなった。そこでは単に上司の指示に順応するのではなく,自分のやりたいことを主張する若者の台頭が目覚ましくなり,やがては上司に相談せずとも,自分のやりたいことのできる職場を選択できる道が設けられるような試みが行われた。上司とソリが合わないことを理由に飛び出す人間もいたが,このまま埋もれていては人生が台無しになってしまう,何か一つやってやろうと優秀な若者は挑戦することが可能になった。そうした中では,優秀な若者が職場から逃げ出すことに戦々恐々とする上司もいた。

仕事というものは一人でできるものではなく,チームプレイが基本であり,そのチームプレイでの補い合い,或いは相乗効果で仕事が捗ることになる。だから,自分がやりたいことのできる職場を選ぶことはできても,それだけですぐに成果の出るものではない。そんなことを悟ってか,自由に職場を異動できる環境はあったが,それほど自由に選択して飛び出す人はごく一部に限られた。ある時期になると,さらに発展して,自らが事業を起こす起業家を募るようなことまでにもなってきている。自らが会社を飛び出すのではなく,社内ベンチャーである。自らが経営者として,場合によっては自らも出資してベンチャー企業として活躍できる場も設定され,社外へ飛び出すのではなく,企業内でチャレンジする人も出てきた。

  会社を変わる

職場を変わることから,社外へ出る人も居る。たまたまノーベル賞の報道があり受賞された山中教授も,最初に就いた整形医が自分に合わないと判断し,基礎研究へと飛び出し成功された一人である。マスコミで報道される殆どは,こうした成功した人のエピソードである。その陰に,その何十倍,何百倍もの失敗をした人がいる。こうした人は多すぎて,またマスコミ報道の対象にもならない。会社を変わることは,大きなリスクを伴っている。終身雇用制がだんだん変わりつつあるとはいえ,やはり同じ会社で働いた方が有利なことは事実である。特に,サラリーマンで独り身のときは,気軽に会社を変わることはできても,子供などが居て生活が掛かっている状況下ではなかなか困難なことである。

私自身は定年まで同じ会社勤めをしてきたので,会社を変わることのメリット,デメリットは肌で感じたことがない。ただ,自分に合わない職場や仕事に対して,消極的にしがみついているのは如何なものかと思う。幸いにも,私自身は,会社をいやになったことはないし,技術の仕事を,辛いことは幾つも経験したが,投げ出して他の職業を選択しようとは,考えたこともない会社生活だった。それは幸いなことだったと言う一言では済まされない。

今の職場が合わないから,との単純な動機で会社を変わることには大きなリスクがあると思う。「隣の花は赤い」と云われるように,隣の方が良く見えることがある。ところがいざ隣へ行ってみると,思っていたようなことではなかった,と云うことがよくあることなのである。だから,昔の人は「石の上にも三年」と我慢することの重要さを説いたものだった。これは現代でも間違いではないと思う。

いろいろじっくり考えて会社を変わる決断するのはそれなりの理由があり,本人もそれによるリスクを十分承知した上で,その結果が悪く出ても納得ができると云うか,自分の責任だと認識する。ところが,会社がイヤだとか,上司が気にくわないとか,感情的な理由に端を発して,会社を変わる人は,その結果が悪いと,自分の責任ではなく,その周囲,環境の責任に帰してしまうことがよくある。これでは,いくら良いところだと変わっても,次々悪いことが見え始め,転々とする憂き目に合う人が居る。

  プロジェクトが変わる

技術者の最も身近な仕事が変わることは,プロジェクトが変わることで,これは,1,2年毎,長くても数年では必ず変わる。学生時代に1年毎に進級するようなもので,一つのプロジェクトを終えると,次のステップアップしたプロジェクトが待っている。こうした繰り返しで技術者は成長をしていく。

プロジェクトは規模の大きさは様々であるが,そのポジションで仕事内容は大きく変わる。プロジェクトの一員として参加するのと,サブリーダとして参加する,或いは全体を統率するリーダとして参加するのでは仕事内容も,カバーする領域も違ってくる。こうした段階を経ながら,リーダとして育っていく。したがって,プロジェクトに参加したときには,もちろん与えられた仕事を遂行することは当然であるが,一段上のポジションの仕事がどういったものかをチャレンジする良い機会でもある。即ち,自分の一段上の立場になって,自分だったらどうするかの判断をしてみることである。

これは数人のプロジェクトでも,百人を超えるプロジェクトでも,必ずできることである。しかも,1,2年,長くても数年で一度経験できることで,技術者であれば,繰り返し繰り返し経験できることである。したがって,プロジェクトが完了した段階で,プロジェクト全体の振り返りがあると同時に,自分としてこのプロジェクトに携わってどうだったかを反省してみるとよい。できなかったことは素直に反省して,次のプロジェクトで達成する目標にすればよい。できたことは成功例として,次のプロジェクトに活かせば更にブラシアップできる。つまり,プロジェクトが変わることは,技術者として成長できる機会を与えられたことなのである。

もちろん,プロジェクトは成功する,目標達成できるものばかりではない。内部環境や外部環境によって,持っているスキルをしても乗り越えられないこともある。こうした経験を繰り返しながら,同じ失敗をしないようにして,且つ,成功したことは次の大きな自信に繋げ,ステップアップを図っていくのである。こうしたわずかな心構えがあるか無いかで,成長の度合いも大きく変わってくる。

「変化に順応するものが生き残る」とも言われているが,日頃から激しい変化があるわけではない。むしろ変化がないような日々の方が多いのかもしれない。そこでのんびりゆったりしてしまっていては,いざ周辺に変化が起きたときに順応することさえ困難なことになる。つまり,日頃から自ら変化を求め,変化に対応できる体力,能力を付けておくことである。それは日頃の心構え一つで大きく変わることを肝に銘じておきたい。

仕事を変わることは,メリット,デメリットを自覚しておこう

 

[Reported by H.Nishimura 2012.10.22]


Copyright (C)2012  Hitoshi Nishimura