■ムダをなくす 5 (No.285)
逆説的に,ムダのすすめ について考える
ムダを無くすことばかりではゆとりが無く,結果的にムダに費やすことになる
ムダをなくすことは必要なことであり,どの企業でもムリ,ムダ,ムラの排除に賢明に努力している。しかし,これが進むと,否進みすぎると,明らかなムダは別として,ムダそのものの定義が難しくなってくる。つまり,一見ムダに見えることも,長い目でよくよく考えてみると決してムダとは言えないようなものがあることが判ってくる。
技術者の仕事はいろいろあって,すぐに結果が出るものは,どちらかと云えばムダな仕事かどうかはっきりし易い。もちろん,成果が出なかったからムダな仕事だったとは簡単には言えないが。技術開発などにおいては,仕事をすれば積み上げ方式的に成果が上がって行くものもあれば,そうではなく,仕事をすれども成果がすぐには出ず,なかなか成果が出ないと思った頃に急に大きな成果になる仕事もある。だから,一時的な成果とムダとはなかなか一致しないと云うのが私の考えである。
それよりも,事務的なムダの削減(キャンペーン的に行うような,或いは事務局ができて,成果を追求されるような)に振り回され,技術者として汲々として何もできないようなことの方が余程ムダなことをしていることになる。また,一般的にムダの削減と云うと,目に見える,或いは数字に表れるムダを無くそうとすることが多い。つまりムダの削減成果が見えるものを追求することが多い。これは悪いことではないが,技術者のように一見ムダそうに見える活動が,大きな成果に繋がることを立証しているケースもある。(後述の15%ルールなど)
創造的な仕事にはある程度ゆとりが必要で,ギスギスし過ぎた環境では創造的なものは生まれにくい。技術の仕事のすべてがそうだとは云えないが,工場の現場で働く技術者と研究所で働く技術者とは仕事の質が違うこともよく理解しておかなければいけない。かと云って,研究所はゆとりばかりで成果が出ないようでは,本来のゆとりではなく,ぬるま湯に浸かっているだけのなまけの集団になりかねない。つまり,技術者の仕事はある程度長いスパン(これも業種など仕事内容で変わるが)での成果を見ながら判断するのが適切だろう。
意識的なムダから,新たな発見を見つける
技術の責任者は,部下の仕事内容を決定する責任と権限がある。昔は,20〜30人もいる技術部隊では,日々の仕事に追われる者も居れば,将来に向けた新しい技術開発に挑戦している者も中にはいた。技術責任者の中には,全体としての成果が問われることは当然だが,これは面白い,何か新しいこと(発明・発見)が起こるかも知れない一種の勘が閃くものがあると,こっそりと(アンダー・ザ・テーブル:裏金ではない。)やらせておく余裕があった。
当然,そう簡単に成果がでるものではない。廻りからは,いつまで成果のでないことをやらせているのだ,と云う声も出る。その声に怯えるようでは,一人前の責任者ではなく,そうした声をもろともせず,息長くやらせる責任者が居た。担当者も上司からの指示なので,成果が出ないと叱責されることはない。もちろん,怠けることはなく,必死にやっている。ムダなことが多いことは承知の上である。しかし,いつか日の目が出ると信じて,挑戦し続けた中から,やはり大きな成果に繋がったものは幾つかある。私自身も経験したことである。
一種の勘と表現したが,これを見極めるのは容易ではない。未知の新しいことへのチャレンジなので,成果が出ないで終わることの方が多い。しかし,その中できらりと光る技術が芽生えているもの,それをそれを担当する技術者の情熱・執念,これが上手く掛け合わされると成果に結びつくことになる。明らかに,意識的に一見ムダと思われることをやらせているが,その中に随分遠くに一筋の明かりが見えているかどうか,その先見性である。ムダに見えることをやらせないと,成果は出てこない。責任者の太っ腹である。昔は良かったとは云いたくない。今でも,こうした技術責任者は必ず居る。
15%ルール
3Mでは,執務時間の15%の時間を自由な発想や研究に使ってもよいというルールがあると云われている(いわゆる「15%ルール」)。 だが,創造的な仕事が中心的な企業では同様のことが行われているケースもあるが,一般的には企業としては希である。
聞くところによると,3Mの会社の風土そのものが大きく関係していると云われている。つまり,オリジナリティを尊重し,新しいものを創造することが企業風土に根付いているため,新しいことへ挑戦することが技術者のステータスになっている。そうした中で,ポストイットで代表される失敗作が大きな成果に結びついたのである。
ただ,一方で技術者にとって,15%のゆとりは与えられているが,成果を上げなければならないと云うプレッシャーは,日本企業の通常の技術者の比ではないそうである。緊張感がある中での仕事で,時間にゆとりがあるからのんびりしようとする考えは殆ど無いようである。時間にムダがあるようでも,成果としてムダを生まない工夫があるように感じる。
ムダを無くすことは必要だが,雁字搦めのムダ削減には一考を要す
[Reported by H.Nishimura 2012.09.03]
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