■原発再稼働の議論を巡って  (No.268)

大飯原子炉発電所(福井)の再稼働を巡って賛否両論マスコミを賑わしている。

  反対派の意見

福島の原発事故以来,原発アレルギーと言っても良い程,原発=危険なもの,との感覚が国民の間に広まっている。元々,原子力発電は,地球温暖化における二酸化炭素削減として,火力発電に代わってクリーンなエネルギーとして拡大してきたもので,原子力の平和利用として注目を集めていた。しかし,チェルノブイリなどの事故による悲惨さから,安全に対して見直しを求められてきた。

今回の福島の事故は,その被害の大きさから日本人誰しもに安全に対する甘さというか,誰が安全に対して責任を持っているかが極めて曖昧だったことを露呈し,これまでの安全神話は確実に崩れ去った。マスコミの報道も,どちらかと云えば,事故に遭遇された方々の悲惨な姿を映し出すことで事実ではあるが,何となく国民感情を煽っているとも言え無くない。したがって,これ以上原発を更に増やそうと言う人は流石に居ないと言ってもよい。

再稼働に反対する多くの人は,反対の理由を大きく二つ挙げている。一つめは,安全の担保が不十分であること。二つめは,電力不足の根拠が不明確であること。

一つめの,安全の担保であるが,安全確保が不十分であるかぎり,原発の再稼働は止めるべきであると主張している。尤もなことで,福島の事故の再発はあってはならないことである。ストレステストに合格したから安全に対して大丈夫だと言える内容ではない。橋下大阪市長を始めとして,安全に対する政府見解はごまかしであって,そんな政府に国民は騙されてはいけないと主張している。確かに,安全基準なるもので絶対的な基準などあり得ないことを判りつつ,安全だけを絶対的なものとして再稼働を反対しているようにも伺える。また,元々原発の危険性を訴えながら,原発促進派に押されてしまっていた反対派の人々は,福島の事故以来,それ見たことかと息を吹き返して強く国民に訴えている。

二つめの電力不足に関しては,夏の猛暑のピーク時に電力不足が生じ,停電事故を起こすリスクがあると関西電力は騒ぐが,果たして本当に電力不足が生じるか,不十分な状況証拠しかない。猛暑だった年の電力使用のピーク時の値と供給能力と比較して不足を説明しているが,消費者の節電マナーなども進み,実態がどうなるか定かでない部分が残っている。それにもまして,電力不足を補う火力発電などのフル稼働はコストが嵩み,関西電力の経営を左右するので,それよりもコストの掛からない原発の再稼働を必須要件にしてしまっているのではないかと疑問を呈している。

つまり,原発の再稼働を認めることは,これまでの原発促進路線,安全を二の次にした経済優先のやり方に変わりが無いこと,つまり,福島と同様の事故の再発防止ができていないと訴えている。

  賛成派の意見

再稼働すべきだと主張する人の殆どの人も,安全を無視して再稼働するとは思っていない。福島のような事故の再発防止を図った上で,現状の電力事情で日本の経済上,必要最小限の稼働は認めるべきであると言っている。停電の懸念を抱えたままでは,企業として競争に勝てず,海外進出などを真剣に考える企業が続出して,日本経済そのものが縮小・疲弊してしまう危険性を危惧している。したがって,ストレステストなどこれまでの安全基準からは厳しい見方で見直しをしており,安全性は高まっており,電力不足事情を考慮すれば,再稼働しても良いのではないかとの主張である。

また一方では,地元では原子力産業で生計を立てている人も多い。地方自治体でも原発誘致の見返りとしての交付金などの収入が財源になっており,原発が再稼働しない状態がいつまでも続くとこれまでの安定した生活ができなくなってしまう。もちろん,福島のような事故は起こってはならず,万全の対策は必要だが,生活ができないようになっては事故同様なことになってしまう。したがって,安全を担保された上での再稼働を願っている人達である。

原発の地元の意見として,これまで原発による電力で消費する恩恵に被っていながら,今になって原発の地元の苦労や事情も十分把握せず,感情的になって何でも原発反対を叫ぶのはおかしい,と云ったものもある。

  どのように考えるか

私自身技術者ではあるが,原発に関しては素人である。再稼働に対して賛成か,反対かと問われれば,条件付き賛成である。

賛成派,反対派の各々の意見は尤もな部分も多いが,いずれも一方的な見方をされているように感じてならない。反対派は原発の安全性面から見た主張で,日本経済など我々日本人が将来どうあるべきか,と云う視点が欠けているように思う。確かに,安全でないものをそのままなし崩しに再稼働することはあってはならない。

安全は他にもまして最優先されるべき事項ではある。しかし,万が一,万が一と突き詰めて行けば,原発がコントロール不可能なことになる場合がある。絶対安全な原発はあり得ないから再稼働はすべきでないとする主張には些か疑問がある。日本国として,将来のある国になって行くために,原発は当面,安全を最大限考慮した上で利用しなければならないことがあると思っている。つまり,我々の生活とどのようにバランスをとって,原発とつきあうかである。

これまでどちらかと云えば,安全神話のもとに原発促進が行われてきた。補助金や交付金などと云う誘惑で,町の再生を優先してきたところもある。事実,原発無しには町が成り立たないところも出てきている。しかし,この点については,些か行き過ぎであったのでは,と原発推進派も素直に反省して欲しい。原発の安全性について,福島の事故から学ぶことを徹底的に議論して欲しい。

つまり,一個人,一町村レベルとしてどうかと云うと,賛成,反対などいろいろな意見が出てきて当然である。つまるところ,部分最適な意見に終始してしまう。そうではなく,こと原発の再稼働に関しては,全体最適な見方が必要である。だから,我々自身も個人的にどうこうではなく,日本国に居る日本人として,将来を考えて,日本がより良い国になるために,再稼働が必要か,否かを考えて見てはどうか。そうすれば,自ずと最も相応しい答えが導き出されるのではないか。

そうしてみると,日本経済の将来性など企業が元気になり,生活が安定するためにも,再生可能エネルギーなど開発により電力事情が安定するまでは,福島の事故の再発防止は当然のこと,第三者的立場から安全基準を明確にした上で,最小限の原発の再稼働を認めることが進むべき道だと考える。原発の再稼働の方向付けの見誤りで,将来の日本が活気のない国に沈んでしまい,若者の世代につけを背負わすようなことがあってはならないと願う。

原発の再稼働は日本としての全体最適で考えるべきである

 

[Reported by H.Nishimura 2012.04.30]


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