■開発現場より 4 (業務報告会の議事録)  (No.262)

製品開発の現場でのいろいろな問題点について考えてみることにする。(続き)

業務報告会での議事録は10人までの少人数の場合を除いて,普通は残して報告書とされる。 

  実態はどんなものか

経験上,いろいろな議事録を見てきた。日時,場所,参加者,報告内容,決まったこと,懸案事項と担当者など記載内容は様々である。10人までの少人数の場合を除いてとしたのは,数人で意思疎通が十分図られているグループで,毎週の報告を事細かに記載して残しても,その活用は殆ど無い,必要性が少ないことが多いから,そう述べたまでである。記載して残してはいけない訳ではない。

実際の議事録は,大概フォーマットが各々で定まっていて,それに従って記録者,一般的にはリーダではなく,その部下の若手が記載しているケースが多い。通常,何を議論して,結果どうなったか,残った懸案事項は誰がいつまでにするかなど,簡潔明瞭にA41枚程度に記載されていることが多い。先ずは,これで十分である。10人以上のグループで,記録を残していないと云うのは,リーダの怠慢と云えよう。

記載内容を関係者に配布する前に,司会者かリーダが目を通して,抜けていることや間違っていることは追加・訂正される。或いは,主要メンバーがチェックをするなどして,記録者が書いたものをそのままチェックもせず配布されることは少ないが,全くチェックなし,と云うケースもあり得る。それは,議事録そのものの必要性をリーダが十分認識していないことでもある。もちろん,リーダ自身が記録係も務め,全員に配布するのであれば良いが,そうしたケースは希である。

また,大きな組織では,その議事録を週報として,その上の上司に報告する資料としているケースも多い。そうした場合は,上司に伝えるべき要点を簡潔明瞭に示したものであれば十分である。部下への徹底のための議事録と,上司への報告の議事録をわざわざ分けることは,通常必要はない。

とにかく,議事録は再利用される機会が少ないので,どちらかと云えば形式的なもの,且つ,簡潔明瞭なものになってしまっている。

  何をどのように書くべきか

議事録なので,日時・場所・出席者など,概要を整えた上で,議事内容に入る。

経験上からすると,日常のオペレーション(週報など)としての,報告書の書き方と,何かを議論する,或いは決める場合とでは,自ずと記載方法は変わっても当然である。オペレーションとしての書き方は,通常行われている方法で十分であり,不都合があれば,都度修正されているだろう。

問題になるのは,何かの課題に対して議論して,決定した場合の議事録である。こうした議事録は,いろいろ見てきたが,これは素晴らしい議事録だと感じたことは少ない。要は,後から読み直して,なるほどそうだったのかとプロセスがよく判り,感心したことは殆ど無いからである。

その理由は簡単で,議事録を取っている人が,議論の内容を十二分に理解して,発言の主旨,主張をポイントを押さえているか否かである。特に,若い人が記録している場合,発言を忠実にとする意識のあまり,細かいことに神経が注がれ,肝心なことがポッカリと抜けていることや,主張している意味が理解できなく,間違った捉え方で記録したりしていることである。また,各々の発言を記録せず,結果だけを記載するしかできない記録者であることも多い。

議事をとることは,議論の場合,意見の対立のポイントを把握することが大切で,言葉尻や表現方法そのものに拘るのではない。対立軸を明確にして,そのやり取りを明瞭に記載すれば良いのである。言うのは簡単だが,これができる人は殆ど居ない。まして,理解して記録を取るということは,非常に神経が高ぶり疲れる作業である。これは一朝一夕にできるものではなく,日頃からの訓練の賜物である。

今でこそ,会議にパソコンを持ってきて,議事録を取る人は当たり前である。私は,ノートパソコンが発売された90年代始めから,議事録はノートではなく,ノートパソコンで取るようにしてきている。最初の数年は,会議でノートパソコンを使うことは,奇異の目で見られ,嫌がる眼差しをされることもしばしばあった。社内の会議で慣れて,十分間に合うレベルになると,顧客とのやり取りの場でも活用するようになった。これは,相手の言いたいことを素早く読み取り,素早く打ち込む(それほどタイピングが早い方ではない)ことの訓練には十分なった。

当然,発言のすべてが打ち込める訳ではない。従って,言いたいことの要点を絞って,それを文章として完結しない状態で,次の展開へと進める。つまり,同時進行で追随できる最低限のことを続けることである。その後,会議が終わって,文章として読める内容に完成させるのである。そうしたことを続けて数年やっていると,ほぼ完璧に近い状態の議事録が取れるようになってしまった。相手方にその議事録を見せて,驚かれたことも何回もあった。当事者でなくとも,その場に居たかのように,再現できた議事録になっていたからである。

また,発言した当事者が主張したいことを上手く言い表していたかどうかと云う問題もある。即ち,発言通りに議事録をとっても言いたいことが何か要点が掴めない場合もよくあることである。そんな場合,記録者が言いたい要点をまとめて記録した方が議事録として相応しいものになることもある。発せられた言葉通りで,それ以上でもそれ以下でもないことは事実だが,再利用する立場からはポイントをまとめて記録されたものの方が,正しく伝達され良い場合が多い。発言者以上の記録を取れることは特技でもある。

もちろん,ノートパソコンを活用しなくて,ノートにメモして,後からパソコンでまとめて編集して仕上げることでも構わない。私の場合,時間を有効に使うことと,その場の雰囲気がノートパソコンのメモ書きの方がより有効だったからである。

  議事録の必要性

議事録の必要性は,再利用される場面があるからであって,再利用されない議事録は無くても良い。したがって,再利用されるように議事録を記載すべきであることは言うまでもない。再利用の場面は,簡単な次の会合での利用から,当事者でない人が新たに参加するために利用するなど,様々ある。

必ずしも,やり取りの詳細まですべて記録することは必要が無いケースが多い。しかし,詳細なやり取りのプロセスが必要な場合も後から起こってくる場合がある。そうした場合,プロセスが判らず結果記録からは経緯が読めず,学習することもできないことがある。その点,ムダなケースが多かろうとも,少しの努力であらゆる再利用場面を想定した詳細議事録があるに越したことはない。

企業によっては,議事録を忠実に取るためにICレコーダを持ち込んで記録させ,会議後にそのレコーダから発言内容を打ち込むようにして議事録として報告されているケースもある。じっくり聞いて,発言者が誰で,どのような発言だったか,その発言通りに報告書が出来上がっているのを拝見したことがある。議事録としては申し分ない出来映えである。これも一つのやり方で,議事録を大切にする文化からそのようにされているのであれば構わない。議事録の再利用が頻繁に行われていれば良しとしたい。ただ,改めて聞いて清書する時間はもったいない気がしてならない。多少の不十分さはあっても,その場で記録することを勧めたい。

最近のニュースで,3.11の当時の政府の会合の議事録が無く,各自の記憶を元に70数ページの議事録が発行され,それに比較するアメリカの記録が3000ページにも及ぶもので,公開原則のある日米の差が顕著になった例があるが,これはそもそも議事録が取られて居なかった何おか言わんやの世界であるが,記録の重要性を再認識させられた出来事の一つである。

 

議事内容を理解した詳細な議事録を取ろう!!

 

[Reported by H.Nishimura 2012.03.19]


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