■コーヒーブレーク 3 (No.250) 〜スペインへ旅行記〜
今年は夫婦で久しぶりに海外旅行へ行こうと決めていながら,私の夏場の体調不良のために今年は計画を断念せざるを得ないと思っていたが,11月後半に上手く日程が採れたので,夫婦で10年振りの海外旅行に出掛けた。11月後半とあって再計画段階で,北半球は寒さも身に沁みるので,折角行くのならば南半球のオーストラリアか,比較的暖かいと思われるヨーロッパの地中海沿岸地方か,などと検討した結果,イタリアへは10年前に行ったことがあるので,女房のできるだけ暖かいところを希望との意見を採り入れ,日程が上手く合ったスペインに決まった。
スペインに関する知識は殆ど無いに等しい状態で,フラメンコ,闘牛,ガウディのサグラダ・ファミリア,アルハンブラ宮殿などを名前を知っている程度で,たまたま今,半分程度まで読み出した「ローマ人の物語」(塩野七生 著)で,ローマ人が侵攻したイスパニアの内容もよく出てきているので,古代都市の名前は聞いたことがある。また,行くに当たって,NHKのBS放送でスペイン特集の番組をたまたまDVDに録画しておいたので,それを予備知識として再度見ておいた。
もともと写真(特に風景写真)が好きなので,カメラ及び充電器などの準備は怠らず,今回,息子のビデオカメラのお下がりを貰った(今春,新たに孫の小学校の入学にプレゼントしたので)ものも,併せ持って行くことにした。思う存分撮った(写真 1500枚超,ビデオ 約100分)が,3日目にカメラが故障,撮影は出来るのだがSDカードに記録ができないハプニングに出合い,多少慌てはしたが,予備のSDカードに交換して,無事元通りになった。(過去数年間,SDカードの不良は初めてである。電気屋なのでこんな記録装置の不良は想定内だった)
行程は,11/21−28(8日間)で,ツアー参加者19名(通常は30名超だが),やや季節外れ(?)だったためか,バスも2人掛けを1人で占有しても余っていると云うゆったりとした旅行だった。参加者の中には,海外旅行10数回の夫婦や80歳を越えた老夫婦,親子づれ,若い女性同士,一人旅の女性などと様々だった。人数が少なかったこともあって,殆どの人と親しくなれた。天候に恵まれ,寒さも日本へ帰ってきてからの方が寒く,ダウンジャケットなど防寒服を持って来ていた人も多かったが,私はセーターとブレザーで行ったが,セーターは朝夕2度程度使っただけで,十分快適だった。
以下が,旅行の行程で,世界遺産(8カ所)巡りである。
簡単に以下,風景写真の一部を紹介する。
◆バルセロナ(11/22)
サグラダ・ファミリア:ガウディの作品,現在も未だ建設中
ピカソ美術館:撮影禁止のため画像なし,ピカソの若い時代の写実画の上手さは天才(認識を新たにする)
◆タラゴナ 地中海のバルコニー(世界遺産):円形の競技場跡が見える
◆バレンシア(11/23)
ラ・ロンハ(世界遺産):街中が古い建物で埋め尽くされている
◆ラ・マンチャ地方
粉ひき用の風車
◆グラナダ(11/24)
アルハンブラ宮殿(世界遺産):イスラム建築の粋を結集した建物
1238年から築城に約170年を要し,グラナダ陥落(1942年)までキリスト教徒の侵攻に耐えた
外は四角だが中は円形。(レコンキスタ(キリスト教への改宗)で建造)
コマレス宮
アルハンブラ宮殿及びアルバイシン地区
ヘネラリフェ庭園(アルハンブラ宮殿に隣接)
◆ミハス:アンダルシアを代表する白い街並み
白い街並み(避暑対策)
◆ロンダ
ヌエボ橋(上は18世紀に完成)
◆セビリア(11/25)
スペイン広場(各地にある)
ヒラルダの塔から市街を一望
セビリアの大聖堂 カテドラル(世界遺産)の中
コロンブスの墓 大聖堂の中にある
◆コルドバ
メスキータ(世界遺産):アーチの森が幻想的な西洋と東洋の美の融合
イスラム時代の祈りの空間,二重のアーチを支える円柱が約850本(8〜10世紀の掛けて3回拡張。)
25000人収容できるモスクが完成。
ユダヤ人街:花の小道(迷路のような入り組んだ細い道の両側に,美しい花が飾られた白壁の家が並ぶ
◆マドリッド(11/26)
プラド美術館(ベラスケス,ゴヤ,グレコの絵画)
美術館内は撮影禁止
◆トレド(世界遺産):「もし,スペインに1日しか滞在しないなら,迷わずトレドへ行け」との格言がある
古代ローマ時代から要塞都市として栄えたところ。
1561年首都がマドリッドに移るまで,政治,経済の重要な拠点として,「16世紀で歩みを止めた町」と云われている。
展望台から街を見下ろす
カテドラル(スペインに於けるカトリックの最高峰)
フラメンコショー
右を見ても左を見ても世界遺産,それも同じような建物,イスラム教徒,キリスト教の影響を受けた建物。じっくりと見直して見ないとザッと見ただけでは混在してしまって区別がつかない。たった,正味5日間の旅だったが,あっという間だった。改めて,イスラム教とキリスト教の世界を整理しておく必要を感じたとともに,読み続けている「ローマ人の物語」が新たな感覚で読めるような気がしている。
スペインの歴史を改めて世界史で読み返すと,紀元前のポエニ戦争でローマがカルタゴと戦ったとき以来,ローマ帝国の属州として存在し,3〜5世紀に掛けてキリスト教が広がった。そのローマ帝国は東西に分かれ,ゲルマン人の移動でイベリア半島は西ゴート王国(418−711)となった。このときトレドに遷都している。その後,711年にイスラム教徒のウマイヤ朝ができている。ここからグラナダ陥落(1492年)までイスラム政権が続いた。実際には,10世紀頃から,キリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)が盛んとなり,北から順次進み,カスティリア王国が拡大,南のグラナダ王国を残すのみとなり,このときのグラナダ王国のナスル朝に,アルハンブラ宮殿が造られている。1479年スペイン王国が誕生し,最後に残ったグラナダも陥落した(1942年)。この年,コロンブスが大西洋を横断,東インド諸島に着き,アメリカ大陸を発見している。少なくとも,トレド,コルドバ,グラナダ,セビリア,バレンシア,バルセロナ,タラゴナの街はこの時代から都市として存在した。(「ローマ人の物語」では,紀元1世紀に各都市の名前が主要街道と共に示されている)
ヨーロッパの歴史が面白くなってきた。
[Reported by H.Nishimura 2011.12.19]
Copyright (C)2011 Hitoshi Nishimura