■儲からない製品開発 6 (No.246)

話題 : なぜヒット商品,儲かる新製品の開発ができないのか?

  新製品開発が上手くできていない理由(その4) 内的要因 3

前回,組織力がなかなか高められていない症状を模式的に図で示したが,なるほどと頷いた人も多いと思う。では,なぜ組織力が強化されるようなやり方が行われていないのか? 決して組織力を高めるやり方が理解できていない訳ではないと思う。ここ10年来,いろいろな書籍で組織力を高めるにはどうしたら良いか叫ばれてきている。日本の技術力がこのままでは先行きがないと警鐘を鳴らしている書籍も多かった。既に10年前から今日の状況を危ぶむ声はあった。

その代表的な一つにコア・コンピタンス経営(顧客に対して,他社には真似のできない自社ならではの価値を提供する,企業の中核的な力)がある。ゲイリー・ハメルとC・K・プラハラードが書いたこの書籍が日本で出回ったのは,1995年で今から15年も前のことである。ここで述べられていることは,企業が成功するためには,5年から10年先を見越して,自社のコア・コンピタンスを育て,補完し,未来の市場に備えることが重要であると。このことを技術責任者の多くが,認識していなかった訳ではない。また,自分たちのコア・コンピタンスが何かを知らなかった訳でもない。それを重要視せず疎かにしてきたために,今日の結果を招いたのだろうか?

確かに,問題になっているテレビ業界のコア・コンピタンスは何かと云えば,アンテナ,チューナに始まり,映像処理回路など電波からCRT画面に映像として変換する複雑な映像技術があった。その技術は優秀な部品を集めることでは成り立たず,容易に取り込める技術ではなく,相当の技術が無ければ追いつくまでに時間を要したものだった。例えば,チューナなどVHFやUHFの電波を検波する周波数の調整を,2,3ターン巻いたコイルの間隔での調整や,長さの微妙な調整など,ラインに並んだ女性がものの見事に数秒も掛からず調整するスピードは日本のお家芸であり,世界を席巻していた。そうしたアナログの時代から,デジタルとなり,今では1チップのICですべてができるようになり,その1チップICが入手できれば,チューナ機能が発揮でき,それを購入さえすれば,微妙な調整など全く不要になってしまっている。

このように,本来技術力から製造力までを含んだコア・コンピタンスとされたものが,デジタル化の進化でコモディティ化され,コア・コンピタンスでは無くなってしまっている。テレビ業界が手をこまねいて見ていただけではなく,新しいデジタル化の波を先行するソフトウェア技術などIC化できる部分の最先端の技術開発を行ってきていた。確かに,画面が大きくなり,映像の良さも以前とは比べものにならないハイビジョンの素晴らしい画像を見ることができるようになってはいるが,所詮テレビとしての機能である。双方向など付加機能があるにはあるが,顧客にとって素晴らしい感動を呼ぶような付加機能ではない。それには顧客が高いお金を出してまで買う価値を認めていない。つまり,コア・コンピタンスが変貌してきているのである。新規の素晴らしい技術がコア・コンピタンスではない。顧客が認める価値のある技術でなければならないのである。

コア・コンピタンスは技術中心のことだから技術者に任せてと経営陣が投げ出してしまっているような企業では,テレビ業界よりももっと過酷な現実となっているだろう。製造業にあってコア・コンピタンスが見出せない,或いは経営陣が関与していないようでは当然の結末である。企業の多くは,必死になって自社のコア・コンピタンスを守り,次々新たなものを創り出してきた。だが,そのスピードが時代に,特にデジタル対応となって以来,極端に劣ってきている。そうした意味では,技術責任者の役割が十分果たせているとは言えない。何が,どこが間違っているのだろうか?

よくよく自社の技術部門を考えて見て欲しい。そもそも自社のコア技術なるものが育成されている環境が整っているかどうかである。昨今の技術部門を眺めてみても,自社の技術者で基礎的な部分からすべてやろうとしているところがどれだけあるだろうか?経営と云う名の下に技術部門も合理化(?)が進み,アウトソーシングしている部分がかなりを占めてしまっている。本来,時間・費用が掛かっても自社でやるべきところを外部委託,或いは派遣社員でやりくりをしている。そうした部分の技術の蓄積はどんどん外部へ出てしまっている。要は自社の技術者が本来やるべき技術的な仕事をせずに,手配師的な役割を担わされ,技術蓄積がなされずにいざというときには役立たないことになってしまっている。アウトソーシングがすべて悪いことではないが,コアとなるべき技術までも外部に頼っているようでは将来が無いのは自明の理である。こうしたことが,現在の日本の企業で多く見られる。

昔が良かったと云うつもりは毛頭無い。顧客に感動を与えることはやはり基本的な部分,特にコア技術としてしっかりとした部分が無くてはならないことは,現在の技術責任者もよく判っている筈だ。判っていてできていないの何故なのか?時代の背景,世界の情勢などを理由にしていては解決にならない。確かに,昔よりは難しい時代になっていることは事実である。それを乗り越える知恵は無いのか!!誰かが言っておられたが,責任者として将来のことを考えることにどれだけ時間を使っているかではないだろうか。実にその時間(将来について考えている時間)が少ないのではないか。それでは当然,その考えに基づいて行動することも少なくなってしまっている。人間は「貧すれば鈍する」*と云われるように,要は余裕の無い状態に追い込まれてしまっているのではないか。

是非,日本の技術責任者は今回のテレビ業界の衰退を「対岸の火事」ではなく,「他山の石」として自社の業界の将来を見据えて,コア技術を見定め,それに一層磨きを掛け,世界に誇れる技術に仕上げて欲しいものである。コア・コンピタンスとは,アッと驚くような手際の良さから生まれるものではなく,長年の地道な努力(もちろん,将来を見据えた戦略の下に)によって出来上がるものである。その努力を惜しまないで欲しい。そしてあのとき,テレビ業界から多くのことを学んだと胸を張って言えるようにして欲しいものである。

(続く)

*貧すれば貪する:「貧乏すれば,ことあるごとに貪る」とりかいしていたが,どうも「貧乏をすれば,気を配る暇がなくなり,心の働きが鈍くなる」の方が正しいようである。

*対岸の火事:川の向こう岸の火事はこちらまで燃え移らないから,安心していられる。自分に関係がない事は,痛くもかゆくもないこと例え

*他山の石:中国最古の詩集である「詩経」の中の「他山之石,可以攻玉」という言葉。「他の山にあるどんなつまらない石でも,自分の宝石を磨くのには役に立つ」ということから「他人のどんな行いや言葉でも,自分を向上させるのに役に立つ」という意味

コア・コンピタンスを創り,持続する努力をしていますか?

 

参考文献:「価値づくり経営の論理」 延岡健太郎著 日本経済新聞出版社 2011.9.22

       「MOT「技術経営」入門」  延岡健太郎著 日本経済新聞出版社 2006.9.22

 

[Reported by H.Nishimura 2011.11.21]


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