■儲からない製品開発 4 (No.244)

話題 : なぜヒット商品,儲かる新製品の開発ができないのか?

  新製品開発が上手くできていない理由(その2) 内的要因 1

先ず顧客が価値を認める新製品開発ができていないので,商品が売れない,或いは,安売り競争に巻き込まれてしまっている大きな要因は何か? その一つに,開発リーダの力不足がある。それは,新製品にどのような付加価値を付けようとしているのか,単なる技術開発で新しい技術を組み込むことではなく,顧客を感動させる価値を何で見出そうとしているのか,要は商品として何を売り物にしようとしているのか,そうした点に対する力不足は否めない。

怠けている訳でなく,一生懸命努力し何とか良い製品を生み出そうとしていることには違いない。しかし,多くの人に承ける商品にしようと思えば思うほど,輝きのない平凡な商品に帰してしまうように思える。要は開発リーダそのものに商品に対する自信が無いので,こんな商品にしたいと云う思いが薄弱で,且つこんな商品にしたら売れるはずだと云う気概もない。だから自分一人の思いでなく,できるだけ多くの意見を採り入れようとする。即ち,最小公倍数的な何でも取り込んだ商品で,そうすればするほど,尖りのない平凡な商品になってしまう。

また,競合他社比較も今では開発過程での定番である。競合比較で,何が優れ何が劣っているかを一覧表で比較することが行われる。特に,劣っている部分に対しては何とか同等以上にしようと努力しなければならないのが通常一般である。開発過程でこうしたことが主要なこととして行われること自体が間違っている。いや,間違いではないが,顧客要求の付加価値を追求せず他社比較に明け暮れるようでは,技術力の差を自己満足しているに過ぎず,勝った負けたで一喜一憂しているようでは,真に顧客が価値を見出す新製品が創り出せることは覚束ないであろう。競合比較で負けている点があっても良しとし,それ以上にダントツに勝てる点があれば良いのである。欠点を補うのでなく,長所を突出させることが必要なのである。

簡潔に言ってみれば開発リーダに商品企画力が欠如しているのだ。顧客の声を真に捉えようとする心掛けも少なく,それはマーケティングの仕事だと役割を割り切ってしまうのが当たり前になっている。確かに役割分担はそうかも知れないが,自分が責任者となって開発する商品が,顧客が価値を認めてくれるかどうかは,自分の眼で確かめる努力を怠ってはいけない。マーケティングを信じないと云うのではなく,マーケティングの意見を尊重しながらも,リーダ自身が生の声を感じていないようでは,良い物づくりはできない。顧客に感動は与えられない。製品開発の責任者と役割範囲を限定せずに,商品企画リーダとして開発から商品化,そして商品の売れ行きまでを責任をもってやり遂げるリーダが必要なのである。

どうも役割分担が明確で,一人で何もかもできないと云うのが言い分のようであるが,責任分担の細分化が反って商品として全体を責任持って振る舞う人が誰だか判らなくしてしまっている。大きな組織になると,開発リーダとして幹部がその役割を担うケースもあるが,これなど典型的な拙いパターンである。つまり全責任が幹部にあるかのような体制であるが,実態は開発推進者が実務責任だけを負い,権限は与えられていないのが実態である。そうした体制下で問題が大きくなってくると,本来責任者である幹部が適切な判断を下すべきだが,そうではなく手遅れになってから開発推進者に押しつけてしまうことが多い。これでは対処できるものもできなくなってしまう。つまり責任と権限を持った真の責任者不在で開発が進んでいるケースがよく見かけられる。これでは商品開発が上手く行く筈がない。

スティーブ・ジョブ氏のような未来を見据えて,顧客の価値を創出するような力があれば,それに越したことはないが,スティーブ・ジョブ氏の方が希な存在であると云える。彼と同等な能力を開発リーダに求めても無理である。しかし同じ能力は無くても,未来を見据えてじっくり考え,顧客が何を求めようとしているかを考えないようでは開発リーダ失格である。そういう開発リーダに任せてしまっている幹部の責任も大きい。いや幹部そのものが,質の良い開発経験も無く,ただタイミング良く口上手で技術責任者(幹部)になったような人の下では何をか謂わんやである。

開発リーダは,必ずしも自分一人で先が見通せて,顧客に感動を与えることができる人でなければならないことはない。自分一人ではできなくても,組織として上手く個性を活かしたやり方ができる人で,決断力があり責任感があれば十分である。若い人の中には,新しい技術には秀でてみんなから一目を置かれている者や,ある固有技術に一生を掛けているような者など,個性が様々である。そうした若者に限って,一般の技術者よりもバランスが悪く,協働で仕事をさせたり,部下を使っての仕事が苦手など,個性豊かな者が多い。ところが会社組織では,そうした尖っている者よりも,非の打ち所のない平凡な技術者を育てようとする傾向が強い。

確かに組織力では,秩序を乱すような者は厄介者にされるが,開発リーダはそうした者でも非凡な個性ある部分を上手く引き出すことが役割の一つでもある。尖った製品開発をしようとすれば,そうした一見厄介者に見えるような個性豊かな若者の非凡な才能を見出し,それを上手く活かすことで成り立つこともある。すべて上手く行くわけではない。失敗の連続かも知れない。しかし,そうしたチャレンジもせず,平凡な努力家の集団の安全運転中心の開発だけでは,今のような状態からの脱皮は難しい。

昔は開発リーダにそうしたゆとり,遊びのような部分が認められた。今は開発スピードも早く,よりサラリーマン化している。一見ムダと思えるような商品開発を部下にやらせる余裕はない。しかし,百発百中儲かる商品開発などあり得ない。だから感性豊かな,顧客ニーズを創出する能力がありそうな若者を,顧客市場で少し遊ばせてやるくらいの度量は持って欲しいものである。技術開発では論理性が重要だが,商品開発は論理性よりも感受性豊かな個性溢れる人に期待してはどうかと思う。

もう一点,開発リーダに忠告することがある。素晴らしい新しい技術開発をすることは重要なことであるが,それが顧客に受け容れられなければその技術は世の中に役立ったとは云えない。大学など基礎研究をしている部門は,顧客と関係なく新技術の開拓そのものに使命がある。しかし,企業に於ける技術者の大半は,世の中に役立つ技術開発をすることが重要なのである。それは新しい技術開発には違いないが,顧客が付加価値を認める開発であって,世の中に売れる商品開発である。世界的に見れば,技術的に優れていなくても,顧客が求める商品開発で売り上げを伸ばし利益を上げている企業も多くある。技術者としては,納得できない部分かも知れないが,技術力だけで売り物にしようとしている考え方そのものが時代に合っていないことを十分認識しなければいけない。技術力を軽んじることでなく,活かせる技術力(顧客が付加価値を認める)を磨くことが大切なのである。自分たちの保有する技術力に自己満足していないか,開発リーダはよく考えて欲しい。

(続く)

開発リーダの能力不足は致命傷である

 

参考文献:「価値づくり経営の論理」 延岡健太郎著 日本経済新聞出版社 2011.9.22

 

[Reported by H.Nishimura 2011.11.07]


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