■3.11から半年が過ぎて(9.11に思う) 4 (No.239)
3.11と対照的な季節になる9.11,アメリカ同時多発テロが10年前に起こった日である。その当時の記憶は未だ生々しい。
10年前の記憶
あれは今から丁度10年前である。いつものように夜10時からのニュースステーションを見ていたときだったと記憶している。臨時ニュースで,アメリカのツインタワービルに航空機が追突したとの報道だった。何が起こったのかよく判らないまま,たいへんなことが起こっていることがテレビを通じて判った。様子を見ていると,それが飛行機のハイジャックによるもので,放送番組も途中で切り替わり,アメリカで起こっている状況を生々しく伝え,飛行機のツインタワービルへ突撃した映像が流れてくる。しばらくしていると,2機目がもう一つのタワーに突撃したとの報道だった。
ハイジャックは判ったが何がどのように起きているかよく判らず,まるで映画でも見ているような感覚だった。想像を遙かに超えた場合は,そうした感じに襲われるようで,3.11の津波の映像のときも,現実とは思えず,まるで日本沈没の映画を見ている感覚だったことを思い出す。10年前の記憶なので定かではないが,ハイジャックが何カ所かで発生し,ペンタゴンも襲われたとか,他のハイジャック機がどこどこへ落ちたとか,情報が錯綜していたことを思い出す。
放送の中で,ツインビルが崩れ落ちたとの報道があり,あんな大きな頑丈なビルが,飛行機によって無惨にも崩れ落ちることがあるのか,と衝撃を受けた。それよりもペンタゴンやホワイトハウスなどアメリカの中枢部の被害が非常に気になったが,なかなか情報が正確に伝わって来ずイライラしたが,いつまで見ていても限りがなく,真夜中1時過ぎには,放送の途中で床についたと思う。翌日,朝からは飛行機が突撃している映像が,繰り返し繰り返し流され,ビル崩落状況も克明に報道され,そのひどさに憤りを感じていた。
未だに,ツインタワービルへの激突映像や,崩れ落ちるビルの姿を見る度に,あのときの記憶が蘇る。9.11同時多発テロを機に,アルカイダとアメリカの戦争とも云うべき戦いが始まったのである。
テロに立ち向かった日系人
今年の7月20日ごろ,NHKのBSプレミアムで,渡辺謙がアメリカを行くと題して,9.11テロの後,在米アラブ・イスラム系の人々に対する人種差別が起こり,それに敢然として立ち向かった日系人が居たとのドキュメンタリー番組だった。
テレビ番組を通じて初めて知ったことだが,テロ後のアメリカでは在米アラブ・イスラム系の人々への暴力や差別がひどく,飛行機への搭乗も拒否される事態が発生していた。こうした動きに心を痛めて,厳然と異議を唱えたのが,多くの日系アメリカ人で,その中心となったのが,9.11テロ発生当時,航空行政のトップである運輸長官だった日系二世のノーマン・ミネタさん(日本名・峯田良雄)である。ミネタさんが行ったことは,空港の荷物チェックなどの際,アラブ・イスラム系の人々に対する人種による選別・差別の禁止を宣言したのである。もちろん,こうした対応に対して,マスコミや政界からはミネタさんに批判が殺到したようだが,ミネタさんは頑として自らの意志を貫き,それを後押しするかのように,多くの日系人がアラブ・イスラム教系の人たちを守ろうと独自に行動を始めたのである。
全く予想外のテロリストの攻撃,アルカイダの存在にアメリカ中が動揺し混乱を極めていた時だったが,ミネタさんを初め日系人たちを奮い立たせたものとは,いったい何だったのでしょうか…。これがこのドキュメンタリーの話題である。
第二次世界大戦下,今から約70年前にアメリカ在住の日系人が直面した強制収容という過酷な体験と云う苦難の想い出があったそうである。即ち,日米戦争において敵国である日系人(もちろん民間人)を極寒ではマイナス30度にもなると云うハートマウンテン強制収容所に入れたのである。少年時代をそこで暮らしたミネタさんと共に,渡辺謙も一緒に訪れ,昔を回想する。テレビの映像ではなかなか伝わらない生きるか死ぬかの厳しい現実があったと想像する。そうした経験から,「強制収容所に隔離された自分たちの悲劇的な差別体験を,他の人々に二度とさせてはならない!!」,人間の尊厳の問題であるとの強い思いがミネタさんにあったのである。だから,テロ後に起こったアラブ・イスラム系の人々に対する人種による選別・差別に,憤りを感じて立ち上がったのである。それは,70年前の日米の戦争の陰に起こった人種差別に基づく過酷な体験を再び思い出させる状況だったようで,敏感にすぐさまミネタさんは行動したようである。
日本では日本人以外を外国人として扱う。これは日本固有の感情で,アメリカでは合衆国なるが故に,日本で云う外国人は一人も居ないのである。この感覚は,アメリカを初めて訪れ,一番強く残った印象である。初めて訪れた私を見て,外国人(日本人の感情での)とは見ず,そこに住んでいる人と同じ対応をされたこと(もちろんアジア系とは見られたが)への驚きであった。ただ人種差別のひどさは少ない私の訪米経験では全く感じていない。
しかし,テロ後の行動などから,人種差別は根強くまだまだ残っている感じを強くした。その根深さは私には判らない。或いは,人種差別と云うより宗教的な差別かもしれない。この差別もなかなかよく判っていない。日本でも他の宗教を排他的にみる宗教はあるが,なぜそうするのかよく判らない。私自身は,宗教の自由は構わないが,他の宗教を認めない行為は結局は差別的な要素を生む基になってしまうのではないかと感じる。
ミネタさんの行動は,日本人として誇りに思う行為に対して称賛して止まないが,果たして自分がそのような行動ができるだろうかと考えさせられた。
9.11と3.11偶然の重なり
同時多発テロが2001/9/11で,東日本大震災が2011/3/11,つまり,9.11と3.11は丁度半年である。全くの偶然ではあるが,何か因縁を感じてならない。つまり,いろいろな経済問題,社会問題を抱えているとはいえ,何一つ不自由なく暮らしている人が多い。それも,先祖代々(或いは歴史)からの教訓も,つい蔑ろにしてしまうような生活を送っている。
そのことは非常に幸せなことには違いないが,9.11や3.11に示されたような民族間の争い,或いは自然災害が,100年,或いは1000年のときを越えて起こることがあるのだと警鐘を鳴らしているようにも思われる。ただ単に,事件のあった日との記憶だけに止めず,先祖や歴史からの教訓をじっくり見直す日を神様が設定されたと見てはどうか。
我々の生活は,どんな困難にあっても必ず立ち直れるものである。ただ,強い意志と粘り強い努力は不可欠である。
[Reported by H.Nishimura 2011.10.03]
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