■3.11から半年が過ぎて(9.11に思う) 2  (No.237)    −− 病気でダウン,一週間遅れ −−

果たして復旧復興は順調に進むのだろうか,との疑問を抱きつつ・・・

  大臣の軽はずみで不適切な発言はなぜ続くのか

それにしてもなぜ,大臣の軽はずみな発言が続くのだろうか?まるで殿様になったような高飛車に出たり,一般人の感想のように,人っ子一人居ないゴーストタウンを見て,死の町のようだと,更には,放射能が移るなどと子供のような発言を大臣ともあろう者が,何を考えているのだろうか?マスコミが一部分だけを切り取って騒ぐので,文脈や話の筋道からして,意図した内容とは違って取り上げられている可能性も無いことは無いだろう。

その人となりをよく知らないが,大臣とは国家の命運を分けるとは大袈裟すぎるが,それに近い権力がある役職である。その場の思いつきや単なる個人的な感想では済まされないことはよく判っているはずである。民主党は与党慣れしていないので,大臣が不完全な状態が多く(平野国対委員長の発言だが),記者からの厳しい,矢継ぎ早の質問を浴びせられると回答にシドロモドロも判らないことはない。しかし,心の中に無いことが言葉になって出てくることはないので,普段から感じていることが,つい言葉になってしまうのであろう。

聖人君子の清廉潔癖な人が大臣になっているとは思わない。権力欲が旺盛で,大臣や総理大臣を夢見て政界に入ってきた強者の集まりだから,秘書が付き,大臣ともなればすり寄って来る人も多くなるだろう。自然にお山の大将気分になるのも判らないではない。だけど,記者団の質問などに対しては,常に国家を背負っている立場に立っての発言をして欲しいものである。野田総理が適材適所の大臣を登用したとの言葉が,薄ら寂しく聞こえてしまう。派閥均衡の自民党時代のやり方と何ら変わっていない印象を持たれても仕方がない。

こうした軽はずみな発言は,結局は大臣の元々の資質に尽きるのではないかとも思う。いずれの人も,確かに議員に選出されたばかりは,意気軒昂,国家を背負って立つ意識など素晴らしい気概をもって国会に登庁してきたと思う。それが長年,永田町での雰囲気に慣れ親しみ,政党間の駆け引きに明け暮れして歳を重ねてくると,初志の気持ちも薄らいでしまっているのだろう。庶民の心の痛みからも遠ざかった生活になっていて,震災でもがき苦しんでおられる人々の気持を,頭では理解しているつもりでも,真の意味で理解できなくなってしまっている。だから,そうした軽はずみな発言が何気なく自然に出てきてしまうのではないかと感じている。

大臣としては,四六時中,国家を背負った要職就いていることを忘れず,発言,行動をして欲しい。もちろん,一般人の気持ちを十分汲み入れる懐の大きさは持って欲しい。良い意味での大臣の貫禄が欲しいのである。

かといって自民党時代の派閥,年功序列的な大臣が,如何にも古株と云った長老がでてくるのはNoである。民主党そのものが若い世代が多いので,そうしたことは無いと思われるが,若い元気の良い,意気軒昂な大臣が日本の政治を引っぱって行くことを望みたい。そうした若い世代の失言は,未熟な部分で許せることもあろう。言葉は難しいと云われるが,余りにも稚拙な失言は,その人となりを疑ってしまう。

  被害者の生の話を聞いて

親戚に仙台の方が居て,来阪された機会に,震災時の様子を聞くことができた。たまたま,その親戚は海岸線から離れたところだったので,津波の被害まではなかったが,地震によるライフラインが絶たれてたいへんだったようである。そこは運良く,水道の断水だけは免れたので,ガスボンベのコンロで湯を沸かしたりして,何とか食事はできたようである。それでも近隣の多くの人が近くの小学校の避難所へ非難していたそうだが,幸いにも一家三人協力し合って非常時を凌いだとのことであった。

でも生活する不自由さはたいへんだったようで,一番困ったのが,自動車のガソリン供給だそうである。動く手段の車は必需品だが,そのガソリンが手に入らない事態が発生し,テレビ報道でもあったようにガソリンスタンドに並んでも長蛇の列で,そこまで行くガソリンを心配しなければならないようだった。近くのガソリンスタンドは車へ直接ではなく,タンクでの支給しか受付がなく,通常の石油などのポリタンクではガソリンはダメで,一斗缶タイプのものでしかダメだったようで,その一斗缶が手に入らず困ったそうである。結局,親戚に東京で見つけて貰って送って貰い,やっとガソリンが手に入ったそうである。

津波の被害は無かったとはいえ,地震で家の中はメチャクチャで,一家三人が生活する空間を確保することから始まり,徐々に復旧目指して生活を始められ,ようやく元通りまでは行かないまでも,普段の生活ができるようになったとのことである。当初は,大阪や東京から支援物資を送っても宅急便の配達がNGで,配達所まで自らが取りに行かなければならない事態で,それにも車が必要でガソリンが要る始末だったそうである。

それに,未だに余震が続いていて,ゆっくり落ち着いた状態ではないようである。随分慣れたとは言われていたが,余震の度に,ビクッとする恐怖は未だに続いているようである。そのような状態が続いているので,東京や大阪の人間が,遊びに行ったり,子供の顔を見せに帰ったりすることは,当分避けておいた方が賢明のようだった。

*後日の新聞報道によると,東北地方のガソリン不足は人災だった。タンクローリーの不足が原因で,稼働できたタンクローリーが少なかった上に,そのローリーを幹線輸送ではなく,端末の個々の輸送に配備した不手際で,しかも関東の計画停電のため,関東でもガソリンを求める動きがありタンクローリーを廻す余裕がなかったようである。幹線輸送ができていないことに気づいたのは,随分後だったとのことで,西日本から300台を補給してようやく沈静化したとのことである。(10/2毎日新聞)

  元の生活に戻れない人々の苦悩

復旧復興が叫ばれているが,原発事故周辺の人々が,元の場所に戻って生活できるようになる日はいつのことだろう。ゴーストタウン化してしまった町が蘇ることは果たしてありうるのだろうか。極めて困難と言わざるを得ない。

原発が作られてからその近くの町に住み着いた人も中には居るだろうが,多くの住民は先祖代々,その町に住み慣れた人であり,その人達が,慣れ親しんだ町を離れる気持を考えると並大抵の苦難ではない。生活基盤そのものが変えられてしまうのである。先祖代々の土地を持っている人も多いはずである。それを手放さなければならない気持は,いくら補償があるからと言っても,お金で代えられるものではない。

若い人なら,これからやり直しも考えられるが,多くの年老いた人々にとって,生活基盤が変わることは,とてつもない大きなストレスとして覆い被さってくるのではないかと想像する。原発誘致に賛成,或いは反対した人々共に,住み慣れた土地を手放さなければならないリスクまでを考えていた人はどれだけ居たことか。安全神話が叫ばれ,よい話ばかりが横行し,少なくとも震災以前までは,原発による潤いがあった筈である。その代償の大きさたるや,何をか謂わん。

大震災の地震,津波による被害そのものもたいへんなことであるが,原発事故はそれだけではない。人災事故の様相もある程度ある。想定外との言葉で人災の部分を削り去ろうとしている部分もあるように見受けられるが,そうではなく明らかに人災の部分があり,住民の憤りはその部分に集中している。震災直後の対応含め,人災による被害拡大による影響で,今日の事態になってしまった部分はある。

  最悪は半径300km圏内が避難区域だったとは!!

驚いたことは,NHK番組で菅前総理が,震災直後の被害想定で,最悪事態になれば現在の半径20〜30kmではなく,その一桁大きい半径300kmにも及ぶことを専門家から進言されていたと言い,それを何とか食い止めることに必死だったとのことで,その最悪事態の回避はできたと発言していた。要は,東京までを含む東日本が廃墟となり,日本国が消滅してしまう事態さえ考えられたことには驚かされた。

そんな最悪事態を想定しなければならない原発をなぜ作ったのか,と。

その疑問は,日本人であれば誰しもが抱くことである。何事に於いても,最悪事態を想定することは必要なことである。首都東京が廃墟になる畏れがある原発を福島に作ったこと自体,危機管理ができていないと言っても過言ではない。そんな話は誰も聞かされて居ないのではないか。日本人のどれだけが聞かされていたのだろうか?海外の原発の位置はそうした最悪も事態も想定して決められているのだろうか?

前総理の発言とはいえ,非常に大きな疑問を投げかけられた発言だった。当事者であった前総理の重大な発言にマスコミはなぜ一言も取り上げないのだろうか?済んでしまったことなので今更との判断なのだろうか?大いなる疑問が沸く。

その上で,菅前総理は「原発に対する事前の備えが全く十分でなかったことが,いろいろな対応の遅れや問題が生じた最大の原因だと思う。直接の原因は地震と津波だが,備えが不十分という意味では,私を含めて政治の責任,人災だったと思う」と総括し,これによって原発依存から脱却する結論に到ったとしている。

何たる他人事的な発言なのか。備えが不十分で政治の責任,人災だったとは,誠に腹立たしい。原発依存から脱却するとの判断事態は正しいと思うが,最悪事態を想定したリスク管理ができていなかったことは由々しきことである。備えが不十分だったとの反省で済まされることではない。むしろ,経済優先で,安全神話の下,最悪の事態の想定すらせずに推進してきた政治的判断の過ちだったと国民に謝罪し,その原因を究明し,今後の政治判断に活かすべきではないかと思う。一国の総理としての尊厳を微塵とも感じさせられない発言である。

想定外だったと言う言葉が行き交うが,一国を揺るがす事態の畏れがあるのに,想定外では済まされない。事実,貞観大地震(869年)では大津波が襲ったとの記録が残されていると聞く。自然の恐怖は人間の想定を遙かに超すことを,歴史上からは学べるはずである。1000年に一度しか起こらないことだから大丈夫だと見過ごしてしまった結果なのか。それとも,そうした歴史的事実すら見ようともせず,推進することが最優先されたためなのか。災害は忘れた頃にやってくるとはよく言ったものである。

想定外は聞き飽きた  この言葉からは,何ら建設的なものには進まない!!

  

[Reported by H.Nishimura 2011.09.19]


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