■3.11から半年が過ぎて(9.11に思う) 1 (No.236)
9.11のアメリカ同時多発テロから10年が経つ。同時に,3.11東日本大震災から丁度半年が経つ。テレビ報道でも,その特集が組まれている。死者行方不明者を約20000人出した大被害から半年が経つがまだまだ仮設住宅にも入れない避難所暮らしや全壊の自宅にやむを得ず住み,支援物資の配達を受けている人々が居ることに驚く。
何が復旧を遅らせているのか
直接現地を見たわけではなく,テレビや新聞の報道からしかの情報による知識しかないが,なかなか思い通りの復旧が進んでいないようである。住民,市町村,県,国の役人・公務員の各々の言い分はいろいろあるようであるが,瓦礫の撤去も取り壊し予定の住居を含めると54%程度しか進んでいないとの報道であり,仮設住宅も抽選でなかなか入れない一方で,交通の不便な山手の仮設住宅は入り手が居なくて空き家が目立つとの矛盾を生じているようで,未だに避難所暮らしを続けておられる方も多数あるとのことである。
阪神淡路の大震災の教訓から,復旧復興に向けてはいろいろ学んだことはあるようだが,今回の広範囲,且つ原発事故が,復旧復興の妨げになっている事実はあるようである。直面していなく報道を見る限りでは,各々の言い分はそれだけを聞くと最もなことのように聞こえるが,それを全体で見るとどこか上手くベクトルが揃っていないように感じられる。各々において一生懸命やっておられることはヒシヒシと伝わってくるが,どうも部分最適で進められているようで,それが復旧復興への全体最適に合っているかどうか,その采配ができていないようにも感じられる。
外から,第三者的に言うのは簡単だが,現場でのご苦労は想像以上のことと思っている。復旧を遅らせているのは,政府の責任でも,県,市町村の責任でもないし,逆の見方では,各々の責任でもある。つまり,一人ひとりの復旧復興に向けた強い意志とみんなの力を合わせた行動力に掛かっているように感じる。被災者みんなが弱者ぶっていては何も始まらないのではないかとも思う。(リーダシップが発揮されているところは復旧が進んできている事実もあるようだ。)
誰が主体で復旧・復興をすべきか
それでは,誰がその采配を振るうべきか?全体の問題なので国レベルであり,国の役人が現地に入ってやるべきとの意見もあるが,必ずしも,そんな単純な話ではない。要は,課題や問題が多すぎて収拾が付いていないのが実態ではないかと思う。
こうした混乱状態の解決策は,問題点の整理が重要で,しかも他責にすることなく,自ら自責の視点でお互いが分担することである。先ずは,問題点の列挙,整理に始まり,その優先度を付けることに始まる。また,その課題解決の主体者が,国レベル,県レベル,市町村レベル,住民レベルと分解すべきである。もちろん,費用が掛かるのでその資金繰りを明確にしなければならないが,緊急事態であり,国の第二次,第三次の補正予算などで,ある程度は賄うべきである。
ところが,どうもこうした補助金の内容も,仔細に見ていくと全く現場実態を知らない配分がなされているとも聞く。例えば,病院などの復旧の補助金が250万円程度しか交付されないようだが,復旧に必要な金額は1桁違うが,それがまかり通っていて,現場の実態把握をした上での判断とはとても思えないことがあるようである。こうした補助金などの配布は,やはり国レベルで,県や市町村の現場の声を聞いた的確な,スピーディな判断が求められるだろう。復旧復興にはお金が纏わることなので,非常に重要なことである。一方,全国民の義援金もどのように配分されたか定かではない。これも極めて大きい金額に上っている。
ただ,何でも国レベルの問題にするのは良くない。つまり,県でできるレベルのことや市町村でやるべきレベルのことは,やはり県,市町村が旗を振らなければならない。そうしておられるところも多いが,一方でそうしたことに慣れていない地方の公務員が多いのは判るが,できるレベルではないので,つい上の問題(国レベル)にしてしまう姿勢は良くない。日頃の業務も混乱しているのに,それどころでは無いとの現場の言い分も判るが,日頃の業務のやり方そのものに満足しているようでは,こうした緊急事態に力が発揮できないのは当然である。しかも,できるだけ自分の責任を免れたいとの公務員意識ではとても務まらないだろう。
テレビや新聞報道ではなかなか判らないが,現場の実態は,こうした人間関係を含む,生身の人間のドロドロとしたやりとりが殆どで,力関係で物事が進められているのが実態ではないかと思う。これもでの会社生活から考えても想像できる。中には,役人や公務員に頼っていては事が進まないと自ら進んで復旧復興を手掛ける人も出てきているようである。こうした人の力は上手く活用すべきで,規制緩和や従来のやり方から脱皮を図る手助けをすべきである。但し,個人の思いだけで復旧復興計画の大きな道標の妨げになるようなやり方は慎むべきである。
役人,公務員,民間を問わず,リーダ的存在が何事にも必要で,全体把握ができるリーダが不可欠で,そのためにはマネジメントができなければならない。プロジェクト・マネジメントの素養はこうしたときに十二分に発揮されるに違いない。もしドラでは無いが,どこにでも女子高生のみなみに相当するような人は居るはずである。そうしたリーダ,或いはそれを支えるサブリーダなど,一人ひとりができるリーダシップを発揮すれば,こうした未曾有の困難も克服できるはずである。遠くからではあるが応援したい。
一人ひとりのリーダシップが復旧復興に不可欠では
[Reported by H.Nishimura 2011.09.12]
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