■展示会より (No.220)

昨年同様,今年度も「組込システム開発技術展」の説明員として,3日間東京ビックサイトに行き,顧客を相手に説明を行った。

対象は組込ソフトウェアの開発をしている方で,ハードウェアの映像・画像処理や音声認識,今年度は,特にAndroid開発などの展示ブースも設けられており,弊社のような設計開発サービス/コンサルティングのブースも数社あった。昨年度と比較すると,景気の低調もあり,参加展示社も少なく,且つ,閲覧者の少ないように感じた。

私の場合,コンサルティングの内容もあったが,特に,技術者育成など,技術者教育に関心のある方に接する機会が多かった。専門技術教育ではなく,技術者としての課題解決の方法やリーダ育成についてどのようなことができるのかを説明した。このエッセイでは,常日頃から,ものの見方や考え方について述べてきているが,そうした教育の機会は,大企業の教育プログラムを持っているところは別にして,殆ど皆無に近いようである。リーダがなかなか育たない悩みは随所で見受けられた。

商談にはならなかったが,国立の高専の教授が来られ,教育内容について説明を求められたので,課題の抽出・解決の仕方やリーダ教育について,そのさわりを説明したが,専門教育はETSSなど標準的なもので何とかできるが,こうした実務的なもの,特に生産性やコスト意識と云ったものは,教授陣が元々そうした感覚が無いので教育が出来ないとのことであった。その方は民間企業出身なので,そうした実務に沿った教育をしたいのだが,教授陣ができないので困っているとのことだった。

さらに余談では,そうした教育プログラムを一高専が独断でやることは許されていないとのことで,全国で約50カ所ある高専の金庫は集中された1カ所(東京)にあり,予算面では東大についで2番目に大きな教育機関になっているとのことであった。したがって,こうした社会に出たときに役立つ実務的な良い教育プログラムも,金庫番のあるところに認められないとできないようなシステムになっているとの説明を受けた。大学や高専で,どれだけ実務的な教育までをやるかについては,意見も様々あるとは思われるが,社会人として必要な実務面での基礎教育をすることは有意義なものではないだろうか。

顧客の中の,数人の教育に関心の高い人に,リーダ教育の必要性の説明をすると,殆どの場合,すんなりと受け止めて貰い,その必要性の高さを改めて認識した。利益を上げろ,効率を上げろと幹部は口癖のように云われているようであるが,リーダ教育もせず,その場の成り行きで,いきなりリーダにしてしまって,後は自分で何とかしろ,と云った放任状態が多いようである。特に,安定期,或いは高度成長期のヒエラルキー型のかっちりした組織体制が昨今では見られなくなり,フラット型の文鎮スタイル組織で,見習う先輩もないままリーダに祭り上げられた格好でリーダをやっている人が多いようである。

こうしたタイプは,技術的な内容では,他よりも優れた点が認められ,それでリーダになっているケースが大半だが,リーダとしての教育,マネジメントを含めた教育の機会は皆無のまま,放り出されているようである。したがって,上から生産性を上げろとか,品質を向上させろとか,経営的な視点でいろいろな指示が飛ぶが,その言葉,そのままでしか理解できていない。つまり,生産性と云えば,単に効率を上げることをハウツウ面で何とかしようとしてしまう。生産性の根源は何か,とは考えも及ばない。だから,部下を使って仕事をすることも,上からの言葉を下にオウム返しで言うだけである。リーダとしての解釈,考慮,判断が殆ど無いままである。

仕事の成功,不成功の大きな要因の一つにリーダの資質があり,生まれながらの資質もあるが,大半は教育・指導などで身に付くものであり,それが無い状態なので,仕事の成功が確率的に低くなる。当然,生産性は低下することになる。それを無理やりハウツウで何とかやりくりさせようとするのだから,自ずと限度が見えてくる。物事を見る視点,視座を高めて,リーダとしての役割を発揮できるようにしようとするのが,私の狙いである。どれだけ,商談ベースになるかは,不確かであるが,少しでも社会のお役に立てれば,それで十分と思いながら,今週から,そのフォロー業務に入る。

 

[Reported by H.Nishimura 2011.05.16]


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