■東日本大震災 4 (No.218)
3/11の大震災から50日が過ぎ,仮設住宅への入居が始まっているが,報道に依れば,なかなか予定通りに進まず,神戸・淡路大震災のときの対応よりも遅れていると云われている。
テレビの報道でしか実態が判らないが,隣町に作られた仮説住宅に抽選で当たっても(10倍程度の競争),我が町を離れたくなく,不自由でも,我が町に仮設住宅ができるまで待つと云う人が20%もいるそうである。特に,年配の方で住み慣れた町を置いて,違うところで一から始める生活がどれほどたいへんなのかを物語っている。
津波で押し流されたところに仮設住宅を建てることではなく,住み慣れた町内で安全な場所に仮設住宅を作って欲しい,と云うのが被災者の切なる思いのようである。だから,政府が一生懸命,早く仮設住宅を建てようとしても,建てる候補地がなかなか見つからない現状もあるようである。もう一方,最近は流通事情でサプライチェーンになっていて,どこも在庫を持たない,或いは最小限の在庫で運用されているシステムになっている。だから,自動車の生産がストップしてしまうのは当然の成り行きである。それと同じ事が,仮設住宅の建設でも起こっていて,建てる建材の在庫が無いため,メーカで24時間稼働で生産をやっていると聞く。
政府の方も,かなり超法規的な扱いで,いろいろな対応をされているようであるが,なかなか現地での実態が,判断する行政府に届いていないために,問題が生じていることもあるやに聞く。これもテレビでの話だが,被災地で厚労省のハローワークで就業者のための教育をやっているようだが,その内容が,コミュニケーションや電話応対と云った普段日常で行われているハローワークの教育と同じメニューでやっていると云う笑い話にもならないことが現場では起こっているようである。そうした教育が今必要なのかは,あまり考えなくてもすぐ判ることであるのに,なぜそのようなことが行われているのか?
実態を把握した訳ではないが,テレビで堂々と説明されるのだから事実はその通りだと思われるが,当該の本人,指導者も受診者も共にこれで良いとは思っていないのだろう。お役所仕事と云ってしまえばそれに尽きるが,疑問を感じながらもそのまま言われたとおりする方もどうかしている。折角,緊急時として超法規的な措置でやっている傍らでこのようなことが行われることをおかしいと感じ,そうではない方法,例えば,被災者の対応教育とか,実務的なやり方がいろいろある筈である。そこでは思考停止してしまって,言われたとおりやるのが一番無難であるとの狡い,逃げた考え方である。
たまたま,放送の中で事例として取り上げられたので,ここでも例として挙げたが,要するに,何が一番大事なのか,このタイミングにおいてそうしたことをやるべきか,止めるべきか,そうした判断をせずに,他人のせいにして済まそうとする魂胆が見え隠れする気がする。決められた以外のことができる勇気がなかったのか,或いは,そうした考えすら出なかったのか,当事者でないので判らないが,何かにつけて,自分のやろうとしていることに自信を持って行動して欲しいのである。他人の責任にするのではなく,自分の行動に自分が責任を持ってやるべきで,そうした人で構成されたチームや組織,或いはその集団は結束もできるし,責任感を持った集団になって,その中に居る人々も成長する。
復興会議に有識者が選ばれて,何かをやろうとされているようだが,外からは非難の声も大きい。官僚が作ったシナリオをそのまま描く会議になってしまうのではないかと云う批判もある。議論された内容が,復興会議でいきなり増税の話になったとか?その経緯を踏まえず,経済産業省の官僚が作ったシナリオ通りだと言い切るのも不思議な気がする。メンバーの見識がどの程度か諮るよしもないが,総理が選出,任命した限り,それほど的の外れた人が入っている訳ではない。評論家がマスメディアを通じて批判するのは勝手だが,どうも建設的な意見にならないのは,その性なのかも知れないと,逆に哀れに見えてくる。
事実は一つしかなく,復興会議の成果がどのような形となるかは見守りたい。ただ,机上の空論,絵に描いた餅にならないように,現場をよく知った上でやって欲しいと思う。被災された3県の知事がメンバーに入っておられるので大丈夫とは思うのだが。
まだまだ被災者の心労は続く,ガンバレ東日本!!
[Reported by H.Nishimura 2011.05.02]
Copyright (C)2011 Hitoshi Nishimura