■究極の選択(マイケル・サンデル教授特別講義) (No.216)

4/16,NHKの番組で,ハーバード大学教授のマイケル・サンデル教授が司会役となって,ボストン,上海,東京を結んで,大学生を中心にして,「大震災後の世界をどう生きるか」と云う題目で講義が行われた。

これは大震災後に取った日本人の行動,即ち,被災して生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされても,秩序を重んじた礼節ある行動が連日報道されていたのに対して,ニューヨーク・タイムズを始めとして,世界から絶賛を浴び,共感を覚えた人が世界中に多くいたことである。

日本人にとっては,東北の被災した方々が取った行動が,秩序ある行動とは思うが,それが特別絶賛されるものではなく,日本人としては当たり前の感覚である。それと比較されたのが,アメリカのハリケーン“カトリーナ”の災害の後に起こった,略奪や便乗値上げなどの個人主義(?)に走った行動と対照的であったと云うことである。人は生きるか死ぬか,その瀬戸際では,自分のことしか考えないのが当たり前と世界中で考えられているのに,日本人だけが特殊なように映ったようである。日本では,むしろ略奪や暴動などが起こることはあり得ないことで,そうしたことが起こることの方が不思議なのである。

日本の参加者は,日本人はシャイでなかなか自己表現が苦手な国民だから,そうした行動になったのだ,とか,或いは,村,町と云ったコミュニティを個人よりも優先して考える国民性だとか言われていた。或いは,島国で単一民族なので,隣の人も,どこか先祖で繋がっていると考え,同じ仲間同士と考えることが普通である。それが,アメリカなどの多民族国家とは明らかに違った国民性だとも。日本人は災害時,コミュニティに対する自己犠牲が強くなる。家族を守りたいと思っても,自分だけができないと,そうした権利はあっても行使できない人もいたのではないか,と云う発言もあった。

議論では無かったが,日本では村八分と云う言葉があるように,村の掟や秩序などを破った者は仲間外れにされると云う習慣が江戸時代からある。これは,火事と葬式(この二つ)以外は付き合いをしないと云う意味である。都会では,隣の人も知らないことがまかり通っていることもあって,村八分などは死語であるが,田舎では先ずそうしたことはなく,隣近所を助け合うと云う仲間意識がある。確かに,自己犠牲には違いないが,自分だけが勝手なことをしてはいけないと云う配慮は働いていたのだろうと思う。今回の東北地方のすべてがどうだったかは全く知らないが,何となくそうした意識,むしろ無意識的なものが,互助の意識となったのではなかろうか。

原発事故のことで,危険な任務は誰が担うべきか,と云う話題になったが,これは,以前のサンデル教授の講義にあったアメリカ人の戦争への参加するのが志願兵か,それとも全員平等にすべきかとの議論と重なっていた。その報酬をどのようにすべきかについても賛否両論があったが,日本の自衛隊は特別な報酬でもって働いていたわけではないことをわざわざ説明されていたが,日本人としてはごく当たり前の,災害時の自衛隊の活動は任務の一つのようにも感じている。世界では,危険がつきまとうと報酬が変わる,ハイリスク・ハイリターンの原則が採用されるのが通常なのである。

原子力の必要性については,ボストンは全員賛成であったのに対して,日本,上海は反対者の方が多かった。この議論は面白く,原子力のリスクは,最初は,自動車でも飛行機でもリスクが高かったが人間の知恵がそれを乗り越えてきたのであって,原子力も必ずそうなるだろうと云う意見と,原子力は,自動車や飛行機と被害の大きさ,影響の甚大さが比較できなく,そうした事例は当てはまらないと云う意見が対立していた。技術者である私にとっては,やはり人間の英知を結集して安全なものにすることが必要だと思い,原子力発電を真っ向から否定するつもりはないが,一方,24時間営業とか,クーラーをガンガン掛けて上着を羽織っている人がいるなど,もっと自然な人間の生活に戻して,節約する部分もあっても良いのではないか,と。議論する場合はどちらかに分かれ,極端な意見になるが,最良の選択は,そのバランスにあるように感じることが多い。

東洋でも西洋でも,秩序や礼節を重んじる気持ちは誰しもが持っており,東西の差異はそれほど無いように説明されていたが,これも議論には無かったが,儒教の教えとキリスト教の教えの違い,即ち,親兄弟などを重んじることと個人主義の違いでは無いかと感じている。日本ではキリスト教を信じる人も多くいるが,全体では儒教の世界に染まった人が多く,それが延々と日本人の血の中に流れている。それに引き換え西洋人はやはり個人主義を主体とした考え方が圧倒的に多い。そうした宗教的(?)なことも大きな影響を与えているように感じている。

とにかく,今回の震災後の日本人の行動に共感し,世界の人が自分の中にある素直な心,秩序と礼節を守りながら生活すると云う基本的な姿勢を見直し,それに感動を覚えたことは素晴らしいことであり,世界の人々が互いに助け合って,国と国ではいがみ合っていても,人々は共通の価値観を持てることを実証したのではないか,と云ったことで締めくくられた。

 

[Reported by H.Nishimura 2011.04.17]


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