■新年を迎えて (No.202)
2011年の新年,21世紀に入って10年が経過した。何かと変動の大きい10年だったと振り返る。入りの2,3年で景気後退がひどく,大企業の多くが赤字に陥り,リストラが行われ,その後,景気が回復して持ち直したかに見えたとき,2008年のリーマンショックと云われた世界金融危機が発生して,株価などの大規模な下落が起こり,又しても景気が落ち込む事態になり,それが未だに尾を引いており,完全な回復に到っていない。
個人的にも,2007年に定年退職して,37年間の会社勤めを終え,大きな人生の第一章を終えたが,やはり仕事に対する情熱と云うか,このまま隠居生活するのではなく,何か役立つことなら,少しでも社会貢献したいとの意欲から,定年時に狙っていたこととは,若干違った形ではあるが,以前の勤めとは全く新たな世界で,コンサルタントの仕事に就いているのが現在である。
特に,昨年は健康には随分苦しめられた。と云うより,60歳を過ぎるまで何一つ病気もなく,健康そのもので居られたことを感謝しなければならないのかもしれない。夏には,二度に亘る熱中症的な症状で,2,3日何も食べられない状態に陥ったり,11月には,突然の複眼視(焦点が定まらず,ものが二重に見える)が起こり,自動車の運転が全くできないなど,生活に支障を来すハメに陥った。ようやく,回復してきて,自動車の運転は日中はようやくできるまでになってきている。
気持ちは前向きで,何とかしたい思いがあっても,不健康ではままならないことになってしまう。この歳になると,やはり健康第一である。そう言いながらも,単に仕事ができているのでは若い世代の仕事を年寄りが奪っているかも知れないので,そうではなく私自身の価値を認めて貰える,つまりOUTPUT/INPUTの関係で,少なくともメリットを感じて貰える仕事で,世の中に貢献したいと考えている。要は,期待されている以上の付加価値を顧客に与える,できれば感動を与えられるような仕事をしたいと常日頃考えており,また,新たな仕事にチャレンジし始めたところである。逆に言えば,私の価値が無くなれば,既存権で以てしがみつくことは一切したくないと思っている。
社会の形態が付加価値は内部の努力で積み上げられるものではあるが,その価値を決めるのはあくまでも顧客であって,自らが付加価値を決めることはできないような仕組みになっているが,それと全く同じことが私個人でも云えると考えている。即ち,自分自身努力して,付加価値が高い仕事をしているつもりでいても,顧客がその価値を認めなかったならば,その価値は無いに等しい。その付加価値が高いと思っているのは自己満足だけの世界である。そうではなく,努力の成果を顧客がその価値を十分あると認めてくれる世界に自らを置きたいと思っている。
昨年は「もしドラ・・」が流行し,今も本屋のベストセラーのコーナーにおいてある。直接は読んでいないが,ドラッカーの「マネジメント」を読んでいるので,内容は想像できる。このベストセラーで,これだけ売れるのは流行で買う人もいるが,その内容の価値を認めているからあれだけの部数が売れているのだと思っている。我々がものを買うのは,代金を支払ってその価値があると思うから買うのであって,代金に見合う価値が無ければ,買わないだろう。主婦層が安い店に集まるのも,OUTPUT/INPUTの比率が高いから集まるのであって,安いが品物は悪いとあれば,価値が下がるのでのそれほどの集客はできなくなるのが常である。ここでも,顧客が価値を付け,認めているのである。
ドラッカーの書籍には,こうした顧客を重視したマネジメントのあり方が語られている。マネジメントの考え方を世に広めた第一人者であり,その書籍は実に多い。特に,企業経営には非常に示唆に富んだ内容が綴られている。なかなか読み応えのある書籍が多いので,若い人が手にする機会は少ないかもしれない。だから,「もしドラ・・」のような判りやすく物語にした本が親しまれるのでもある。若い技術者は,優れた技術,新しい技術に高い価値を見出し飛びつく。或いは逆に,給料のためには,与えられた仕事をきっちりやらねばならないと使命感だけで仕事をしている人も多い。でも,少しでもドラッカーを理解すれば,価値を認めるのは顧客であって,自分がどれだけ努力したかどうか,或いは素晴らしい新技術を導入したかは,それほど関係ない。顧客が,感動し,価値を認めたものになって初めて,その価値が存在するのが社会なのである。このことを単に頭で理解するだけでなく,行動の中に活かして欲しいのである。
昨年はハーバード大学の政治哲学者サンデル教授の講義が話題になった。東京大学でも講義をされたようで,本屋のベストセラーのコーナーを賑わしていた。書籍は読んでいないが,NHK教育で正月の特集番組の再放送があり,12回の講義を放送されていた。DVDレコーダーで記録して,正月の間に殆ど見たが,正義とは,公正とは何かを判りやすく,学生と一体となって,具体的な事例を引き出し,学生に考えさせ,議論させ,それで講義を続けていくスタイルは見事であった。世の中の同意が重要だったり,道徳的善が重要だったり,社会に於ける互いに認め合うことを前提に判断を下していることが多いが,全体的な正義,公正さを重要視したものの見方の大切さを知らしめくれている。多少,議論好きな人でないと退屈感はあるが,考えを論理的に整理する上では,考えさせられるところがあった。技術者に哲学は無縁とも云えるが,多様性が求められている時代には,自分自身の頭の中も多様性の訓練をしておくことは必要なことであると考えながら見ていた。
2011年が良き一年でありますように
[Reported by H.Nishimura 2011.01.10]
Copyright (C)2011 Hitoshi Nishimura