■なぜ,考えることができないのか?(思考力不全) 9 (No.197)
最後に,「個人」に於ける思考力不全を考えてみることにする。
【個人】
5.日頃から考えていない
日々の仕事に流されているとなかなかじっくり考えようとする機会がない。どんなに忙しくても,課題認識さえ持って居れば,日々流されるだけでなく,忙しい中で考えようとする機会はいくらでも見つかる。つまり,考えようとする機会が無いのではなく,課題認識も持たず自ら考えようとしていないだけなのである。
確かに,ラインの業務に就いていたりすると,次々と出てくる指示に忠実に従って業務をこなしているだけで一日が終わってしまうことはよくあることである。そうした場合,「考えること」が仕事だとは思わず,手足を動かして仕事をすることが本来の仕事だと思ってしまっている。そうした人は,頭で考えようとする気持ちが元々少ない。また,考えること自体が億劫になってしまっていることが多い。つまり,考えることが負担になってしまっている。
何も考えなくて仕事ができている場合,つまり単なるオペレータのような仕事に就いている場合,自分の頭をひねって考えることなく仕事ができている状態にある。報告書を作成すれば,考える機会が出てくるがそれも無く,会議で発表するとなれば,これもいろいろ考えて工夫するがそれも無い状態になっていると,考えようともしない状態に陥ってしまう。そうなると,ますます考える習慣が無くなって,いつしか思考停止状態になっている。
そうした人は,真剣に悩むことも少ない。それは幸か不幸か,どちらの面もある。悩みは少ないに越したことはないが,全く無い状態だと,悩み考え抜くと云うことが全く起こらない。真剣に悩んでこそ,いろいろな考えが錯綜し,浮かんでくるものである。真剣に考えると,夢の中にまで出てくる。つまり,夜中の寝ている間に,昼間の出来事が整理されるから,夢の中に課題解決の応えが出てくることだってよくあることである。そこに全く新しい発想が見つかることもある。そうした意味では,時折,真剣に悩んでみることは素晴らしいことなのである。
6.やる気がない
最後に,やる気のない状態である。この状態は,考える以前の,仕事に対する心構えの問題である。考えること自体,決してやさしい,楽なことではない。考えようとしないことは,楽な方,楽な方を選ぼうとしている現れでもある。言われたことだけを済ませることで給料さえ貰えれば,それで十分だと云った若者も増えてきている。
また周りの人間も考えようとしない人の集まりだと,いろいろ議論する場さえ無くなってしまう。平凡すぎて考えようとする必要がない状態に人々がおかれると,だんだんその輪が拡がっていって,その集団全体が思考停止状態になってしまう。こうした人の集団で作られた企業は,衰退するしかない。そうならないためには,組織の長自身が,考える集団作りを目指すことが不可欠で,組織の中心は,こうした輪が外へ外へとだんだん拡がって大きくなって行くのである。
(このシリーズの終わり)
日頃から考える習慣が身に付いていますか?
[Reported by H.Nishimura 2010.11.29]
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