■なぜ,行動(実行)できないのか 2(No.153)
【環境,組織】
次は,環境や組織における課題を考えてみる。
●自分(自部署)でできる範囲に限界があり,他人(他部署)に頼る部分が残る
自分一人で仕事をしている人は殆どいない。何らかの形で組織の中で他人に頼る部分を持ちながら主体的に行動している。そうしたことで,自分のできることに限界があって,他人の協力を得なければ進まないとき,協力してもらう人が必ずしも待っている状態で,頼めばすぐ行動につなげてもらえるとは限らない場合がある。プロジェクトチームやタスクフォース活動はこうしたことをスムーズにできるようにしたものである。しかし,全てがそうした活動ができている訳ではない。当然,優先順位も違う。そこで活動が停滞することがある。
このことは組織が肥大化していくと益々顕著になってくる。分業制がどんどん進むため,自分でできる部分(比率)がそれにつれて少なくなってくる。つまり,他部署に依存する部分が大きくなり,自己コントロールではできないことが起こる。このことは,活動を自分だけで進めている場合と比較すると当然スピードも鈍ってくる。否,活動自体が相手の都合で頓挫することさえ起こる。実行が思うように進まない例である。
新製品開発の場合など,量産に近づくにつれて関連部署の協力がないとなかなか思い通りに進まない。それも一人で開発しているような小さなプロジェクトであれば,どこに問題があって,それに対して自分は何をすれば上手く進むかが容易に判り,判断もスムーズに行く。ところが,数人からそれ以上のプロジェクトになると,問題点を正確に分析把握することすら,なかなか思い通りに行かない。当然,何をすべきかのポイントもいくつもあって,どれが最優先か,最重要点か,即座に判断することも難しくなる。そうすると,進行はだんだん遅延していく。他からは活動そのものの停滞に見える。
こうした他部署を動かすことは組織が大きくなればなるほど重要なことになってきている。まして,昨今のように,組織内に従業員だけでなく,請負や派遣と云った人がいて,それらを取り仕切りながら仕事を進めるケースが増えてきている。リーダとしては,協力,協調性を引き出すリーダシップが求められている。
●他部署とのコンセンサスがややこしい(組織間のカベ)
前述の内容の,さらに具体的な掘り下げたものである。
自分は組織間のカベは一切つくっていない,でも周りには組織間のカベを感じることがよくある,と思っている人も多いのではないだろうか。他人のことはよく見えても,自分のことはよく判っていないことがある。人間は本能的に自分を守ろうとする。それが意識的であろうが,無意識であろうが,そうした行動に出る。組織で云うと部分最適である。自分はよかれと思ってやっているのである。
また,組織横断的な仕事の場合,他部門と調整しながら進めなければならないことが多い。こうした場合,明確なリーダが決まっていないと,横並びの組織間ではお互いに相手の仕事だと押し付け合いをしているケースもある。また,リーダは決まっていても,組織間をまたがる場合,どこまで責任と権限があるかを明確にしておかないと,上手く進まないことがある。つまり,担当者にとっては,組織上の上司とプロジェクトの上司がいる形になり,評価も含めて明確にしておかないと,どちらもやりにくい事態が起こる。
そんなこと云っていては仕事にならない,と云う意見もあるが,実際のリーダや担当者にとっては切実な問題になっていることもある。指揮命令系統とその評価者ははっきりさせておくことが望ましいし,活動に支障を来さないことになる。つまり,プロジェクトチームを発足させたら,誰がリーダで,その人が責任と権限を持って,強いリーダシップを発揮できるようにすべきである。ボスが二人いる場合は問題が生じやすい。
こんなケースもある。歩留改善などの場合,全体のリーダ,又は進行役は品質部門の人がなることが多い。しかし,実活動は,製造部署であったり,技術部門だったりする。歩留向上は容易な仕事ではない。それぞれが思い思いのやり方をするし,自分のやったことに対する成果は出したい思いが強い。歩留は工場の体質的なものを表している。つまり,部分的な改善は各部署で思い思いのやり方でできても,最終的な目的である全体の歩留を向上させることには役立っていないことがある(各々が歩留まりを上げたつもりでも,Fコストが全体で増えていたりする)。結果的には目に見えない組織のカベがあって,活動が思い通りに進まない事例である。
いずれの場合も,組織のカベを超える「強いトップダウンのリーダシップ」が解決へ導く一つのカギを握っている。
●職務責任を果たせない(リーダとしての成長が伴っていない)
最近では組織が流動化している。昔のピラミッド型の官僚組織は少なくなっている。フラット&ウェブ型で運営されている。つまり,多くのメンバーに一人のリーダしかいない文鎮型とも云われる組織である。若手を抜擢する,能力のある人がリーダになる,と云った良い傾向もあるが,そればかりではない。従来の感覚で判断すると職責が十分果たせていないケースもある。官僚組織の良い点は,指揮命令系統がしっかりした軍隊的な組織で,判断つかない問題があると,上に報告するとその上司が適切な判断を下す。それでも判断ができない大きな問題はさらに上へと,そうしたそれぞれの段階での判断ができていた。(同時に,階層が多く硬直したデメリットも有していた)
*「効率的で信頼性の高いアウトプットを生み出す組織の基本モデルは今でもやはり官僚組織である」(「組織戦略の考え方」より)
昨今はきっちりした階級組織でないだけに,それぞれが任された責任を遂行するエンパワメントがなされている。しかし,以前であればその上司が十分カバーし,部下を指導育成できたが,複雑さとスピードで必ずしもそうなっていない。そうした現象が顕著になっている。言い換えれば,職責が従来よりも一段下の仕事をしている。つまり,課長(最近はグループリーダ,或いはチームリーダと呼ぶことが多い)が以前の組織では係長がやっていた仕事を課長職の人がやっている。組織が活性化している反面で見られる現象である。これらの現象が,結果的には活動の縮小になっていないだろうか。
昨今の組織は流動的なので,誰もがリーダになれる。当然,成り立ての責任者は謂わば組織運営においては若葉マーク,つまり組織責任者としては初心者である。将来を期待してやらせることは必要だが,十分な指導育成が伴わないと上手く行かない。特に,従来の官僚組織よりもこうした面の充実がないと組織的には脆いものになってしまう。
活動が停滞,或いは上手く廻っていない組織は,こうした未熟なリーダの職責に依存している部分も見られる。初心者だからと云うことではなく,流動化が激しい組織にあって,上からの十分な指導もなく,また見習うべき上司も見あたらない中,自分に与えられた職責を果たしきれない人が出てきていることも事実である。若手抜擢,女性管理職の登用など実力のある人がどんどんリーダに成ってゆくことは歓迎すべきことであるが,一種流行のように実力も無いのにリーダに祭り上げることは,本人にとっても会社組織にとっても決して褒められることではない。オセロゲームのように,一つ間違うと裏返ってしまう競争社会で,リーダの果たす役割は大きく,組織の実行力はリーダの力に依存している。そのような競争社会に居ることを十分認識すべきで,活動の停滞は致命傷になることを十分心得ておくべきである。
(続く)
組織間のカベを乗り越えていますか?
組織の問題は課題解決の中でも非常に難しい問題である。
[Reported by H.Nishimura 2010.01.25]
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