■事業仕分け 2 (No.147)

続いて「事業仕分け」を特に技術者目線で考えてみたい。前回は,一国民目線で,「事業仕分け」であからさまになってきた無駄遣いに関して述べたが,今回は,「事業仕分け」に異論がある将来的な事業に関して述べてみる。

ここで対象となるのが,事業仕分けはどちらかと云えば費用対効果を前提に判断されるので,目先のことにとらわれ,長期的な見方が難しいとされ,国として長期的な視点で是非やるべきと思われる事業が見誤られる危険性を指摘する声も多い。その代表例に挙げられているのが「次世代スーパーコンピュータ」である。これは議論の結果,WGとしては「来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」だった。 (結果資料:事業番号3−17

これについては,国家事業として,NEC,日立,富士通から技術者が参画してプロジェクトで進められてきたが,昨年のリーマンショック以来,企業業績悪化の理由もあって,NEC,日立は技術者を引き上げ,富士通だけが残り,進め方についても見直しを余儀なくされている事情がある。違った二つの方式で開発することに意義があるとの当初の説明から,富士通の方式だけにせざるを得なくなってしまったようだが,最先端の技術だけによく判らない。少なくともこのプロジェクトがこのままでもやりきる必要性をきっちり示す必要はあるように感じる。しかし,このプロジェクトを中止することは日本にとって大きなマイナスとなり,コンピュータ業界での優位性はなくなると危惧する声も有識者の中でも大きい。特にプロジェクトを指揮している人にとっては,よく判らない事業仕分けでたった1時間で判断されること自体を由々しきことだと主張している。

技術者にとって,内容も十分判断できない人によって,簡単に中止されることは耐え難い気持ちになるのは当然のことである。しかもこれまで国家戦略として進めてきたことを,政権が変わったからと云って急に変更を余儀なくされること自体,腹立たしい思いはよく分かる。しかし,技術者だから分かるのだが,最先端の技術で,自分のやっていることは間違いなく何とかやり遂げたいと云う思いが非常に強くなると,他の人に意見が陳腐化して,取るに足らないもののように見えることがある。自分に対する奢りのようなものが芽生えてくる。

そうすると自分でも不思議なように,世界一を目指して頑張ること自体が生き甲斐になり,他のことが全く見えなくなってしまう。それ自体技術者冥利で,こうしたことが世界一を生み出すエネルギーともなる。しかし,このことは,失敗とは表裏一体で,それだけ難しいことに挑戦するのだから容易に成し遂げられない。むしろ結果から見ると失敗に終わった例の方が多いと云えよう。それは,ときには競合に先に出し抜かれてしまっているケースや,どうしても技術の壁が乗り越えられなかったなどいろいろな理由がある。最先端の技術をやっている人が判断するから正しいとは云えないことが多い。

こうしたプロジェクトは第三者,当事者ではなく,スポンサーなどがムダを承知で一度やらせてみよう,或いは社長が成功する確率は低いが面白いからやらせてみよう,などと云った決断(勘に近い判断)で決められる場合が多い。理詰めで説得できる技術者も居ないことはないが,必ずしもそれが成功の要因になるかと云えばそうではない。こうした将来的な,一見ムダのように見える事業の判断は,会社で云えば経営者のバランス感覚である。国家で云えば,国家戦略室が十分起動した上での話だが,戦略的に現在置かれている状況とのバランスで判断すべきものである。誰も正解は持ち合わせていない。

自分自身の僅かな経験でも,グローバルシェアNo.1の商品開発に成功させたことがあるが,殆ど失敗に近く,なかなか日の目をみず,もう一年もこもままだったら完全に没になっていたプロジェクトだったが,そのときの上司が面白いからやってみろと,継続を認めてくれたことが,今日の成功につながっている。自分たちがやりたい,何とか世界一に(とまでは思ってもいなかったが)と云うよりも,経営的判断(その時の状況でバランス的判断)で決められ,それがたまたまよい結果に結びついたのである。

「次世代のスーパーコンピュータ」との比較は無理があるが,費用対効果を云々するよりも,その時の内閣が国家戦略の一つとしてやるかやらないか,どちらかを決めれば良いのであって,事業仕分けで議論すること自体ナンセンスとも云えないことはない。但し,これは国民の税金を使っているので国民を納得させなければならないが,この程度のことが,幾つもあっては困るが,できるような日本国家であって欲しい。結論はどうなるか分からないが,国家戦略として続けるとの意見も出始めているようである。

また,国立,私立の大学長が揃って,日本の将来を憂うような会見をやっていたが,これも滑稽に見えて仕方がない。立場上,日本の将来の優秀な技術の芽を摘まれては適わないとの思いは分からないではないが,「事業仕分け」でガタガタ文句を言うようでは,それも全員が揃って云うなどと情けない限りである。むしろ,本当に憂うのであれば,その思いを独りでもきっちり述べて,国家戦略室など内閣を動かすくらいの力を持っていて欲しいものである。そうでなければ,本当に日本の将来を担うような学生を育て上げる行動力を疑いたくなる。数は力なりで無いことを事業仕分けのプロセスで示しているのではないか。

そう書いていた翌日,今度はノーベル受賞者が揃って異論を唱えている。自分たちの成果は,国家のこのような先端の技術への投資があったからこそ成し遂げられたのであって,その芽を摘むようなことは国家としてマイナスであるなどと言った主張である。しかし,これも成功した事例だけを持って,最先端の投資が必要というのはいささか無理がある。どれだけ多くの投資がムダになったことも示し,その中でこの程度の最先端の投資は認めて欲しいと云った説明はどこにもなかったように思える。それよりもこうした最先端の技術で頑張っている人へ廻るお金よりも,最先端の名の下に周辺でムダがあったり,極端な場合は中抜きで天下った人が多額の給料として貰っていることが問題なのである。

とにかく,国民的議論になったことが大成功と云える。

あなたは,将来の事業に対する今回の「事業仕分け」をどのように見ましたか?

世界一の夢,奢ることなく,チャレンジしよう!!

 

[Reported by H.Nishimura 2009.12.07]


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