■手段の目的化 (No.139)
会社において普通一般に行っている仕事には,何か目的があって,その目標を目指してやっていることがよくある。その目標に向かう手段としていろいろな方法があり,できるだけ良い方法を選ぼうとしている。良い方法とは,自分たちの実力に見合ったもので,少し挑戦的な目標に対して,そうしたやり方をすることで達成しようとするものである。
ところが良くあることであるが,本来の目的を忘れ,と云うか目的を余り意識せずに,やり方,手段を熱心にやるあまり,その手段を上手く使いこなす,或いはその手段をマスターすることが目的化することがある。一番判りやすい例は,何か公的規格などを会社として取るような場合などがそれに当たる。
本来,公的規格などの取得は,取得が目的ではなく,その資格に見合った会社としての組織体制を充実させることであり,資格の有無が問題ではなく,その資格と同等の会社の仕組みが出来上がっている状態にできることを目指すべきものである。つまり,公的規格は,一般的に優れた企業としての要諦を定めていて,そうした状態になっているかどうかを審査員が審査し認定する。だから,見方を変えれば審査にパスさえすればその公的規格を取得できる。
ISO9000などの公的資格がその代表的なもので,決められたシステムが会社内で廻っていないとその審査には合格しない。ところが合格したからと云って会社が立派に繁栄する状態にできるか,と云えばそれは別問題である。だから,ときには,ISO9000の審査には合格したけれど,その審査に合格するようなやり方をしただけと云う場合が多い。そうした状態をいくつか見てきている。
しかし,実際はそうではなく,ISO9000そのものの背景,目的をよく読んでみると,それは素晴らしい内容で,それに応えられるだけの組織体制ができ,実践できる状態になっていれば,間違いなく確実に優良会社の仲間入りができるほどである。そのようなことになっていないのは,残念ながらISO9000を正しく理解し,本質を見極めて取り組みができていないからである。当にこの例は手段の目的化に外ならないと感じている。これについては,改めて述べてみたいと考えている。
手段が目的化する事例はいくらでもある。
- 会議は議論するためなのに,会議をやることが目的になっているケース
- プロジェクトなどが上手く行くための監査なのに,監査を上手くパスすることが目的になってしまっているケース
- 業務報告が目的なのに,上手いプレゼンをすることが目的になっているケース
- フレームワークをやたら使って肝心の解決に到らないケース
- 技術開発で難しいことに興味を持って商品化がなかなかできないケース
これらは,元々の目的が何なのかを忘れ,目先の手段そのものが目的化してしまっている。これは学校教育にも少しは関係している。つまり,効率よく如何に解くかが競われる弊害でもある。何(What)をではなく,如何に(How-to)が常にあるからである。
手段の目的化は身近なところで起こっているものである。
[Reported by H.Nishimura 2009.10.12]
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