■振り返り(反省)について 3 (No.088)
振り返りの最後に,経験が少ない人の例を挙げて,振り返りのポイントをおさらいしてみよう。
振り返り経験が少ない人の振り返り内容
(個人)
・事象をいっぱい並べる(それらしき原因究明も一部している)
・できなかった言い訳けを並べる
・上司などからコメントや指摘を受けているが,言葉尻を捉え,本質を理解できていない
(指摘内容が十分理解できていないため,振り返っているがポイントがずれている)
・コミュニケーションの問題が含まれている
(相手方との話し合いもせず,一方的な考えを示している)
・拙かった雰囲気は捉えているが,ポイントとして押さえられていない
(何が拙かったか,原因究明が不十分)
・上司目線が欠落
(自分の目線でしか見ていない。期待されていることが判っていない)
(現時点の状況判断で十分と思っている。将来,このまま行けばたいへんなことになる,と云った推測などの見方ができていない)
(リーダ)
・多くの人から意見を収集しようとする
(アンケート形式などデータ収集に走る)
・自分自身の整理ができていないため,メンバーへの指示も曖昧
(振り返りを一つの作業として捉え,形式だけの振り返り)
・部下任せ(経験者任せ)
(振り返りの意見を集めるだけで,何ら指示をしない)
・リーダ役を果たさなければとの意欲だけが空回り
(振り返りの意欲は十分あるが,肝心の焦点が捉えられていない。スキル不足)
・目線が担当者レベルから上に上がらない
(マネジメントの観点が欠落している)
・再発防止策が理想論(空論)になっている
(やらねばならないことを挙げるのが精一杯で,実行に移せる根拠が希薄)
(再発防止の意味が十分理解できていない)などが,実際に振り返りをやってもらった例である。これらのポイントをまとめると,次のような点になる。
○目的が判っていない
振り返りをやってもらうとすぐ判るが,何の目的で振り返りをやっているか判っていない場合が多い。何となく,終わったことの反省をだらだら述べる。それも,気づいたことをただ漫然と挙げるだけと云ったケースが多い。要するに,作業として振り返って状況だけを述べるに止まっている。特に,アンケート形式で答えを求められていると,一つの作業として捉えられてしまう。全く思考停止の状態である。良かった点,悪かった点を記入せよとあると,そのまま事象だけを挙げる人が多い。なぜ良かったのか,なぜ悪かったのか,どうすれば良くなるか,などは毛頭考えていない。これでは振り返りでも何でもない。
リーダ的な人でも,形式的には悪かった点に対してなぜ悪かったか原因を分析し,それに対する対応策と整ったようにみえるまとめをしているが,中身を吟味すると,一般的なことを述べているだけに過ぎなかったり,理想的なことを対策案としているが,実現性が乏しいものだったり,これらも,振り返りそのものの目的が理解できていないのである。厄介なのは本人は十分振り返りをしているつもりなのである。こうしたことについては,経験者がきっちり教えてあげる必要がある。本人たちは知らないのである。
○振り返りのポイントが曖昧
これも,目的が判っていないから,曖昧なままになるのかもしれないが,振り返りそのもののポイントが合っていないことがよくある。これは,初心者だけではなく,仕事経験豊富な人でもよくあることである。こうした人は,先ず全体把握をして,何が最も重要だったのか,と云ったことを日頃から余り考えていない人に多い。つまり,言われたことのみを黙々と仕事をしているタイプの人によくあるケースである。そうしたことは,上の人がやることで,自分の仕事ではないと割り切っている人によくある。
自分の失敗した(拙かった)ことなので,本人が一番良く判っているはず,と思われるが意外とそうではないことが仕事上ではよくある。つまり,よく判っている本人が振り返るのだから的を得ているとは限らないことがある。自分で悪かった(拙かった)自覚が足りない場合であったり,上司が求めている振り返りのポイントがよく掴めていない場合などである。特に,上司が求めているポイントとは合致しないことは往々にしてあることである。つまり,見ている視野の違い(視座の違い)がある。つまり,本人が気づいていないことがある。
集団で振り返る場合でも同じである。リーダが振り返りのポイントを上手く引き出せるように誘導しておけば良いが,そうではなく自由にやると決してポイントを付いたものになるよりも,むしろ瑣末な振り返り点が一杯挙がってくることが多い。(後述のヒヤリングの功罪)
○再発防止策ができていない
振り返りで重要なのは,同じ失敗(拙かったこと)を繰り返さないためには,どうすればよいかを明確にして,次の人,或いは次のプロジェクトに伝えることである。ところが,この肝心な再発防止策が,極端な場合は考えられても居ない場合がある。これは,最初に述べた振り返りの目的が判っていないので,振り返りをやらされていると云った感覚のケースに時々ある。もちろん,知識が無く,振り返りにそこまでやらなければならないとは思っていない場合もある。
また,再発防止策を検討しなければならないことだけは判っていても,内容的に再発防止になっていない場合もある。特に,一番多いのは現象を裏返しただけの再発防止策である。原因が究明できていないので,防止策がもぐらたたき的な,出てきた事象をつぶすだけに止まっている。だから,少し状況が変化したり,ちょっとした環境変化で,同じことが起こる可能性を秘めている。必要なことは,原因を究明した上で,その原因を取り除くことができているかどうかである。ここまでできていないと,再発防止にならない。
もう一つ典型的な過ちは,いろいろ原因を究明して対策を考案しているが,その対策に時間を要したり,理想的な対策を検討しているのでタイミングを逸してしまうようなケースもある。これらはいろいろ学び始めたリーダやフレームワークなどと云った知識を付け出したリーダのよく見られる。確かに,対策案は間違っていないが,時間軸で間に合っていないのである。次の案件では,或いは次のプロジェクトでは確実に再発防止しなければならないのに,1年後や2年後の理想を掲げても無意味である。つまり,再発防止には必ず時間軸が必要で,場合によって暫定対策と恒久対策を分離して対応することも必要なのである。
○時間軸の感覚が弱い
いろいろ拙かった点などは理解できていて,次にはそれを改善しなければないところまでは判っているが,それらをいつまでにやらないといけない,と云う時間軸を持つことができていない。だから,やらなければならないことに対して,「それはいつまでにやるの?」と尋ねられると,その時点で初めて時間軸を意識する。そのときにいきなり考えるので,十分熟慮した答えができず,つい思いつきの答えしかできない。ところがそうした応えは,適切なタイミングではないことが結構ある。つまり,改善しなければならないことを漠然と捉えているだけで,あれもこれもと何をやらなければならないことだけしか考えていない。振り返りがきっちり出来ない人,或いはリーダは,こうした時間軸で考えることが不十分である場合が多い。
○ヒヤリングの効用
次に,よく見かけるヒヤリング形式の振り返りについて考える。この方法は,プロジェクトに携わった多くの人の意見を収集する意味では良い方法の一つである。一部の偏った意見よりも,広く多くの人の意見として捉えることができる。前にも述べたように,振り返りは広く浅くいろいろな観点を集めることが目的ではない。ところが,ヒヤリングをすると,いろいろな意見が出て収拾が付かないことも起こる。多くの意見が出ることが必ずしも重要なことでもない。
また,広く浅くなるだけに,些細な振り返りばかりが集まって,大きな観点,或いは少し視座を上げたような観点での指摘はヒヤリングだけではなかなか集められない。よほど,リーダがしっかりしていて,課題のポイントを誘導できる技量があれば別だが,一般的なヒヤリングでは,鋭い指摘を期待する方が無理と言わざるを得ない。このようなヒヤリングで出されるような意見や指摘は日頃からリーダが現場,現物,現認を心掛けていれば,十分把握できていなければならないことである。ヒヤリングするなら,もう少し有効な方法を検討しては如何なものか。
振り返り(反省)はやさしいようだが実際やってみるとなかなか思い通りにできないものである折角の振り返りだから,必ず次の機会には活かそう(それが成長である)
[Reported by H.Nishimura 2008.10.13]
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