■神は細部に宿る(No.084)
プロジェクト全体の規模が大きくなると,全体を統括して見渡していないとプロジェクトが上手く進まないことがある。そうした大きなプロジェクトを進めるリーダになると,細かいことに気を配っている余裕はなかなか無いのが実態である。
仕事はQCDバランスよく進めなければ上手く行かない。プロジェクトにあっても,まず全体のスコープがきっちりしていなければいけない。そのスコープにあって,先ず,性能・品質(Q)がきっちり確保されなければならない。さらには,スケジュール(D)も大切で,プロジェクトは必ず期限を持っているので,それまでに完成させなければならない。他のことを重視して,日程は多少遅れても構わない,とはいかないのである。さらには,掛ける費用(C)も,メンバーが決まっていたり,限られたリソースで必達しなければならない,などいろいろな制限のある中で進めなければならないことが多い。
こうした背景にあって,リーダのやり方を見ていると,いろいろ疑問を抱くことがよくある。
その一つは,余りにも多くのことがリーダの負担になってしまっているため,なかなか自分の思い通りにならないことである。例えば,最近では,メンバーと云っても,自分の部署の所属の部下は殆ど居なく,殆どが業務委託の外部の技術者になっていることもしばしばある。抗した場合,そうした業務委託しているところのリーダがプロジェクトのサブリーダ的な存在になり,彼らがプロジェクトの重要な部分を握ることになっている。つまり,業務委託先のリーダの出来,不出来がプロジェクトに大きく左右することになっている。
しかも,それが長く続くと,業務委託先のリーダの方が業務のベテランになり,リーダが若い人と云うケースもある。そうすると,若いリーダは経験も浅く,どうしても業務委託先のリーダに頼ることになる。その委託先のリーダがしっかりしていれば,それほど問題も起こらないが,必ずしも優秀な人とは限らない。そうすると,若いリーダは遠慮がちに仕事をお願いすることとなり,気を悪くされないようにしながら仕事をしてもらうことになる。こんなことになっている職場が結構ある。
これらは,昔と違って職場構造の変形が大きな原因を作っている。私たちの時代は,経験者が若い人を育て,その若い人が育ち,次のリーダに育っていく。所謂,ピラミッド型の組織にあって仕事ができていた。ところが昨今では,どんどん細部に入っていくと,委託先の技術者がやってしまい,若い技術者もそうした細部のことを扱う経験もしないで育つ。最近,本当に技術者なのだろうか,とさえ感じることがある。殆どを業務委託先にやらせて,手配師的な仕事をしている技術者(リーダではない)がいる。確かに若いときから要領よく仕事をするコツは身に付くがそれでは,本当の優秀な技術者には育たない。
そんな状態を見ながら,ふと思いついたのが次の言葉である。
God is in the details(神は細部に宿る)
これは,いろいろ諸説はあるようだが(前衛建築家のミース・ファンデルローエもしくは(諸説ある)美術理論家のヴァールブルク(いずれもドイツ人)が言った言葉,と云われている),それは誰であってもそんなに気にはしない。芸術,美術の世界で云われる「細かなディティールを疎かにしては全体の美しさは構築できない。」「細部の論理を維持していくことで、全体の論理が機能する。」という意味合いであって,「物事の本質はほんの細かいところによくあらわれる」と云われている。
この言葉を考えながら,上述した技術者がやっていることは,当にこれとは正反対で,細部を疎かにしてしまっている何物でもない。これで良い製品,良い品質,顧客に感動を与えるような製品が生み出される訳がない。そのことを自覚せず,ただひたすら,プロジェクトの期限,性能・品質,費用だけを管理しながら進めていることにどれだけの意義があるのだろうか?早く,こうした間違いに気づくべきである。それは,プロジェクトリーダと云うよりも,その上のマネジャーの役割であろう。しかし,彼らは,それ以上に現場を知らない。
God is in the details(神は細部に宿る)
[Reported by H.Nishimura 2008.09.15]
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