■北京オリンピック (No.081)
北京オリンピックが8月8日から始まり17日間の日程を終えた。柔道が振るわなかったが,その他はまずまずの成績で終わった。連日テレビでは,金メダル獲得者のインタビューやこれまでの練習風景や苦労話などが報道されている。苦労をしてきただけに,喜びも一入と云った人も多かった。金 9個,銀 6個,銅 10個で終わった北京オリンピックから話題を取り上げてみる。
北島康介の二連覇の活躍
前半の話題は,水泳平泳ぎ(百,二百)で,アテネに続いて二連覇の偉業を達成した北島康介にスポットが当てられていた。詳細は知らなかったが,アテネで金メダルを獲得後は,どん底を経験したそうである。やる気を見失い,日本選手権でも勝てない日々があったようである。平井コーチのもとで,そのどん底から,四年後の北京にピッタリ照準を合わせ,再びピークをもって来られたことは,やはり普段の努力の賜物のようである。
平井コーチに云わせれば,他人は天才と云うけれど,決してそうではなく努力家だと云う。努力無くして今日の北島康介はないと。それほど,熱心に練習に打ち込むそうである。他の人もそうであるが,やはり金メダルを狙うような人は,限界に挑戦するほどの努力を惜しまずしている人が多い。もちろん,普通の人が努力しても達成できないのは,元々ある天才的な素質であるが,それだけでは無理で,やはりそれに磨きを掛けなければならないのである。
一旦金メダルを採ると,最高峰に上り詰めたことになるから,目標を失う人が結構いるようである。伸び盛りであれば,まだまだ伸ばして次をと云うこともあるが,ピークをオリンピックに照準を合わせてやってきた後は,なかなか続かないようである。これは我々の技術開発でも同じである。目指してやったものが完成すると,やはりホット気が抜ける瞬間がある。続いてすぐに,とできないことは感覚的に頷ける部分でもある。それには,やはり常に新たな目標が必要であり,その目標を上手く設定して,それを達成する綿密なプランが重要である。それを着実に日々の努力を重ねること,しかも限界に近い挑戦に挑むこと,それらが結果,金メダル獲得に繋がるようである。
柔道日本
同じく前半の話題は,日本柔道である。男子は金メダル2個,女子は金メダル2個,銀メダル1個,銅メダル2個に終わった。特に,男子は,初戦敗退が目立った。これは,これまでの日本柔道からは予想しなかった結果になった。日本のお家芸であり,誰かがメダルには絡んでいたのが常だった。欧米をはじめとする,パワーに屈することも間々あったが,これほど初戦で敗退するケースを見たことはなかった。
確かに解説を聞いていると,本来の日本柔道の投げ技での一本勝ちが無くなり,ポイント制で5分間に如何にしてポイントを稼いで勝つか,に焦点が当てられてきている。レスリングに近くなってきているとの解説もある。確かに,きっちり組んで,投げ技の応酬と云うものは殆ど陰を潜めてしまっている。投げ技で一本勝ちをすること自体が珍しい状況である。組み手でなく,タックルで勝つ柔道は,どうも見ているものを楽しませるものではない。
ルールも柔道着に象徴されるようにいろいろ変わっているようである。確かに,国際的に見て,一国だけが強く飛び抜けている,それも発祥の国だけが,と云ったことは許されることはないだろう。しかし,柔道はやはり柔道であらねばならない。一部の修正はやむを得ないが,形までを変えてしまうようなスポーツがあって良いのだろうか,と疑問が湧く。日本が勝ちたいためでなく,スポーツの種類の一つとして柔道を認めるのならば,やはり本来の投げ技を中心において勝負する柔道に戻して貰いたい。
初心に立ち返るとは,よく言われることである。基本を忘れて応用ばかりを繰り返していると,その技術は廃れることがある。やはり,基本は何なのか,それを原点に考えるときが柔道に来ているような気がしてならない。技術開発においても基本をしっかりやることが,その技術を支え育てていくことになる。
体操日本
男子体操が銀メダルを獲得した。確かにアテネで金メダルを獲得し,日本の体操復活がいわれたので,実力が上がってきていることは事実だが,それほど騒がれてもいなく,メンバーもガラッと変わって,正直それほど期待もしていなかった。それでも,新星は現れるものである。内村選手,19才である。怖さを知らぬ若者そのものであった。
団体の時よりも,個人総合のときが日本人に感動を与えた。鞍馬の失敗で三種目終わった時点で24位に沈んでいた。この時点でメダルの希望は完全に無くなったと誰しもが感じていた。ところが,残った種目が得意だったこともあるが,あれよあれよと,順位が上がり,最後の鉄棒の演技を終えると,銀メダルに輝いたではないか。
他の有力メンバーが失敗したと云う幸運もあったとは聞くが,それにしてもすごいことである。解説で,前回アテネの金メダル経験者が解説されていたが,これまでの採点ではあそこまでひっくり返ることはあり得なかったそうである。これまでは,10点満点の採点で,競っていたのが,今回から,難易度の高いものは無制限で点数が伸びる方式に変わったそうである。だから,難易度の高いものを入れないと点数が伸びない,反面失敗する確率は上がる。
見ているものにとっては素晴らしい演技が見られ,それに応じて高い点数が付けられることは素晴らしいことである。しかし,これも限度があるような気がする。体操が,サーカスのような危険を伴うようなものになってしまっては,スポーツでなくなる。(サーカスが悪いと云っているのではなく,サーカスはショーとして素晴らしいものである。危険と隣り合わせのようにスリルを味わわせてくれるが,安全のケアは十分されている)しかし,難度もどんどん高いものが採り入れられている実態をみると疑問視するのは,素人目だろうか。現に,多数の選手が,落下したり,負傷したりしたことが気になる。
内村選手のように,怖いもの知らずで,堂々と演技されると,本当に魅せられてしまう感じがする。銀メダルを取った後の会見でも,次のロンドンで金メダルを目指すとはっきり云う清々しさがある。これは,19才と云う若さである。伸び盛りと云う勢いが感じられる。是非,日本の体操界を背負って次を目指して欲しいと声援を送りたい。
怖いもの知らずの若さは技術開発でも必要なことである。とにかく若さで前へ前へと進んでみる。時には失敗もする。それでも前へ進むことを止めない。そんな若者の姿はだんだん少なくなってきている。変な大人気取りの感覚が養われてしまっている。冷静な判断は重要なことであるが,それ以上に怖さ知らずに突き進むところに,進歩が生まれ,新しいものが発見される。前に転んで失敗することは怖がらないで欲しい。また,リーダたる人は,それを許す度量を以て若者に接して欲しい。
ソフトボール
後半は何と云っても女子のソフトボールが悲願の金メダルを取ったことだろう。予選,準決勝と二度も米国に負けながら,最後の決勝戦で,遂に勝つことができ金メダルに輝いた。米国のパワーからして勝つことは難しいと思われていたが,上野投手の根性とも云える三連投で,運もあって金メダルが取れたと思う。
決勝戦も釘付けにさせられたが,一回,六回の一死満塁の場面で,一打出ていれば逆転していただろうと思うのは私一人ではないだろう。ただ,何としても勝ちたいと云う思いが日本の方が強かったと云える。それが,結果的に内野フライに押さえたことになったのではないか。最終回も三塁線の強打を三塁手がバンドに備えて前進守備ながら,咄嗟の判断でライナーに飛びついた。あの場面も,勝ちたいとの思いがあのようにさせたように映った。
ところが,テレビのインタビューを拝見してガラッと変わった。上野投手の話では,4年前にアテネで負けたときから,米国に勝つ研究をし続けたと云う。つまり,一死満塁の場面でもシュートボールをこの日のために研究し,相手の内角攻めで詰まらせたと云うではないか。また,1回のピンチを凌いで,米国の当たりが芯で捉えられたことが少なかったことから,自分のボールが走っていることを感じたと云う。テレビでは,その時点で勝利を確信したと表現されていたが,そこまでは後からの作り事だろう。また,相手エースの投げるクセを見抜き,ドロップかライズボール(上に伸びてくる)か,モーションで判ったそうである。これらは,やはり何としても勝ちたいと云う執念の表れである。この執念が運をも呼び込むのである。
米国チームが優勝を狙っていなかったわけではない。彼女らは日本相手に勝てるだろうと油断があったのかもしれない。負けてもサバサバした様子は,日本選手が歓喜極まった喜びを表していることと如何にも対照的だった。
これと比較して,男子野球はメダルにも届かなかった。韓国は日本に勝った準決勝では,優勝したかのような喜びようだった。しかも,これも試合後の話だが,韓国の方は,国際ボールに馴染むため,公式試合のボールを一年前から変えていると云う。日本の投手が投げにくそうにしていたのとは,対照的である。やはり勝つためには,普段からの準備が大切なのである。一流選手を集め,強いから勝てるはず,ではなかったことを今回知らしめてくれている。用意周到,これはオリンピックの世界だけの話ではない。全てに言えることである。それが,ソフトボールと野球のメダルの差である。
マラソン
最終日のマラソンは,予想もしない高速レースになった。暑い夏では考えられない,2時間6分台の記録が出た。それも,ケニアのワンジルと云う日本でなじみの選手だったことは,日本人が振るわなかったのに何となく嬉しさを感じさせてくれた。高校生で仙台育英に留学,高校駅伝の都大路を3年間走ったそうである。私は殆ど毎年見ているので,何となく見たことがある感覚だったが,それほど記憶には残っていなかった。
レース後のインタビューに日本語でやりとりしてくれたのは,好印象であった。特に,日本に来て,ガマン,ガマンとじっくり走ることの重要さを徹底的に教えられたようである。また,後から恩師や監督の言葉を聞くと,やはりオリンピックで優勝できる素質を持っていたようである。とにかく,身体能力の高さは日本人にはないもの,それに日本の精神力をきっちり身につけたら,鬼に金棒であろう。37キロ付近までガマンし,そこからの長いスパートが見事にはまった。最後のスプリント勝負では難しいことを十分承知した上である。
次のオリンピックも金メダルを狙うとはっきり言う,若者21才である。すがすがしい。
北京オリンピックは貴方にとってどうでしたか?
感動を与える場面がけっこうあったのではありませんか?
[Reported by H.Nishimura 2008.08.25]
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