■卒業生の総会から (No.070)

先日,母校(高校)の卒業生の総会があり,そこで同級生が講演するとあり初めて参加した。総会は毎年行われており,案内は数枚のパンフレットに掲載され来るが,各年度の同窓会の状況報告が書かれているのをチラホラと見る程度で,総会には必ず卒業生の中で,出世した人を招いているようである。母校は江戸時代の藩校からは200年以上の歴史があり,各界の著名人も多く輩出している伝統ある高校である。今年度はそれが同窓生になった,と云うことで動員が掛かったのである。講演した同級生は国立大学の教授で電子顕微鏡などを扱いナノテクノロジーの権威者になっている。90分の講演で,ナノの世界の話で,特に技術の要素が一杯の話だったので,一般の人には難しいようだった。

先ず,ナノの感覚が判らない。最初に判りやすく1mからどんどん小さくなっていくものを示し,ウィルスなどの世界のことだとの説明があったが,それでも普通一般の人にはなかなか理解し難いもののようだった。私だったら,「1mの長さを東京−大阪間に拡大して,その中で1mmのものを見るようなもの」と表現しただろう。そのように説明しても普通一般には判らないかもしれない。それほど小さな目には見えない世界の話である。技術者には,ナノとかオングストロームとか単位を云うだけで,ああそんなものか,と何となく感覚的に判るが,普段の生活からは程遠い話で,しかも参加者が60歳以上の年配者が大半とあれば無理からぬことである。

そんな世界を説明するのだと云う前置きに続いて,電子顕微鏡の原理の説明で,これも光学顕微鏡との違いから説明があった。この説明は光学顕微鏡は少なくとも,物理で原理を学び,必須だった生物で実際扱った経験があるので,みんなにも理解はできたのではないか。その光学顕微鏡の限界があることを,カールス・ツアイス社を創業したアッベが見つけ,波長よりも小さなものは光学顕微鏡では見えないことを示し,それが電子顕微鏡を生み出すことになったそうである。つまり,光学ではレンズで光線を屈折させて像を結ばせるが,電子顕微鏡ではレンズに変わって,磁界で電子線を屈折させ像を結ばせることにしているとの解説があった。

後でインターネットで調べると次のような説明がしてあった。
光学顕微鏡の分解能(2つの点が「2つの点」として分離して観察される最短の距離)の限界は,可視光線の波長によって理論的に100ナノメートル程度に制限されており,それより小さな対象(例:ウイルス)を観察することはできない。一方,電子顕微鏡では,電子線の持つ波長が可視光線のものよりずっと短いので,理論的には分解能は0.3ナノメートル程度にもなる(透過型電子顕微鏡の場合)。光学顕微鏡では見ることのできない微細な対象を観察(観測)できるのが利点である。現在では,高分解能の電子顕微鏡を用いれば,原子レベルの大きさのものを観察(観測)可能である。
生物学の分野では,電子顕微鏡の利用は大きな影響を与えた。ウイルスの発見や,細胞小器官の構造など,得られたものは大きい。電子顕微鏡によって観察できるような微細な構造のことを微細構造 (Ultrastructure) という。

次に,電子顕微鏡で見える事例の紹介であった。
動画でのウィスカの発生状況,静電破壊の3次元画像,半導体の接合部の不純物の拡散状況など,技術者にとっては興味あるものを見せてくれた。例えばウィスカでは,金属表面に自然発生する繊維状のもので,スズなどに顕著で,電子部品の事故事例でも写真で示されている。いわゆる「猫のひげ(ウィスカ)」である。その成長していく様を電子顕微鏡が捉え動画でその成長過程を示したり,金のバンプが溶けて無くなる様子を示したり,なかなか見られないものを,いとも簡単に現在のパソコンの動画で誰にでも観察できるようになっている。或いは,ICの故障で悩まされた静電破壊現象を,発生した箇所の3次元画像で,その様子がくっきり見えたり,今まで覗くこともできなかったものが目の前で再現させてくれていた。科学の進歩は日進月歩であるが,これまで見られなかった世界を覗くことができることはすばらしいことである。

講師の彼がもう一つ言いたかったことがある。それは「旬を大切に」と云った言葉である。とくに,大学で教えたり,時には高校生が体験として学びにきたときに,必ず言う言葉だと云う。学生たちに「人生の中で机に向かって一日中勉強する機会は今をおいて他にはない」と,学生たちに勉学の「旬」は,今しかないので大切にして欲しいと云うことを説くそうである。確かに,
何にしても「旬」と云うものがある。

2500年前に既に孔子が「男子たるもの,三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして行く秋の…」というような内容の事を言っている。これは正しく男子たるものの「旬」を表現した言葉に相当する。このように「旬」とは,若者にだけあるのではなく,その年齢に合ったものが必ずあるはずである。だから,それぞれに合った「旬」をどのように活かすか活かさないかで大きく違ってくる。果たして自分の「旬」を心得て活動できている人がどのくらい居るだろうか?この「旬」については,別途書いてみたいと思っている。

(続く)

母校を訪れたことがありますか?

昔の仲間との交流はありますか?

 

[Reported by H.Nishimura 2008.06.09]


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