■派遣社員とは 1(No.055)
現在,派遣社員として,大企業の中に居る。過去の仕事では,大手企業の社員として,派遣社員を使って仕事をしていた。今はそれとは全く逆の立場である。それだからこそ,見えてくるものがある。これまでは,何となく思っていただけだが,その裏側に回った感じである。
昔の女工と同じ
派遣社員を見ていると,昔の女工を思い起こさせる。そういうと怒られるかも知れないし,殆どの若者は何のことか判らないであろう。我々が入社した昭和40年代,1960年代終わりから1970年代である。当時,電機業界では製造ラインは殆ど流れ作業が中心だった。その製造ライン,一つのラインに10数名がズラッと並び,流れてくる未完成品を持ち分の部品を組み立て,次々に製品に組み上げていく。ラインを出るところでは完成品に仕上がっている。定められた時間内は,女子工員達は脇目もふらず黙々と作業に励んでいる。班長などがラインのスピードを徐々に上げることで,効率がその分アップする。そのスピードに遅れまいと一生懸命に働いている。
そんな光景が製造ラインのあらゆる所で見られた。彼女たちは比較的安い給料で,機械のごとく働き,ラインの班長や,職長の指示に絶対服従で仕事をしていた。何がどのように作られるか,どのように使われる製品かも知らずに,ただ云われた作業をいかに速く,確実に行うかだけが求められた。ときたま,残業時間などを使ってQCサークルなど,品質を良くするための改善を話し合う機会は設けられていたが,自分たちで思うように仕事を変えることなどは全くできなかった。ただ,ラインに向かってで効率だけを求められていた。そうかと云って,彼女たちは虐げられているような雰囲気は全くなく,明るく活き活きとふるまっていた。
今から考えると,労働の搾取に他ならない状況であった。それでも,仕事をすることで給料が貰え,組合員として余程のことが無い限り,簡単に首を切られることもなかった。高度成長期にあって,年々給料は上がっていたので,不平不満は殆どなかった。もちろん,その当時,スタッフの仕事に就いている人たちとは,明らかに格差があった。賃金体系そのものが違っていた。さらには,スタッフの人には,将来に向けた教育研修の機会が与えられていたが,彼女らには全くそのような機会も与えられていなかった。それでも,彼女らの働きが,日本の高度成長期を支えた大きな労働力だったということは紛れもない事実である。
長々と昔のことを述べたが,今の派遣社員を見ていると,作業内容そのものは違うが,ライン作業が,単純事務作業やソフトウェアの作成作業などに変化しているだけで,何ら昔の女子工員のライン作業と変わっていない気がしてならない。いかに速く,効率を求められ,まるで機械がごとく,決められたパートの仕事をこなしていく,そこには少しは頭を働かす仕事にはなっているものの,それがどのような仕事に役立っているとか,どのような製品になり,どのように使われるかは知らなくても仕事が進められる。少しでも遅れようものなら,自分のパートがボトルネックになって,仕事が溜まっていく状態である。高度成長期ではないが,今のIT時代の産業の担い手として重宝がられている。
全ての派遣社員がそうだとは思わないが,多くの派遣社員は,大企業のアウトソーシングの一環として,或いはルーチンワーク的な事務作業の労働力として働いているのが実態である。こんな様子を今昔比較してみると,全く類似した局面が浮かび上がってくる。派遣社員のあくせくした姿が私たちの年代には,昔の女子工員の姿と重なり合ってしまう。
一番格差を感じること
昨今よく「格差社会」と云う言葉が飛び交っている。正規従業員と派遣社員で一番格差を感じることと云えば,給料格差もあるが,将来に対する教育機会の格差をすごく感じている。つまり,正規の従業員は,何らかの機会を見つけては,研修とか,いわゆるエネルギーを補給する充電作業が行われている。ところが,派遣社員には,全くそういった教育,研修の場が設けられていない。自分から希望を出せば認めてくれる会社もあるかも知れないが,通常の派遣会社ではあり得ない話である。
あくせく働きながら充電時間が全くない。しかも,じっくり考え頭を使うような部分は正規社員が行い,決まり切った繰り返しの作業や,付加価値を殆ど生まないような作業に派遣社員は従事させられている。格差が付くのは当然である。スキルアップができるなど,派遣社員を集めるための宣伝には謳っているところもあるが,実態はそんな派遣会社は希である。スキルは付く場合もあるが,自分のこれまでのスキルを使うことの方が多い。本人達は,いろいろな新しい仕事をさせられて,習熟することによってスキルを身につけた感じになっている。もちろん,社会人の成り立ては仕事にやり方と云う点では,スキルとして身に付くだろう。しかし,大半は技術など一見スキルが付いているようには見えるが,そのスキルは現状やっている仕事だけに有効で,汎用性があってどこででも使えると云ったスキルは極めて限られている。
結局は,スキルは派遣社員自身の取り組み姿勢や,自ら積極的にスキルを求めていかない限り,会社に居るだけでスキルが付くようなレールは敷かれていない。その点は,大企業の正規社員との大きな違いである。正規社員は,きっちりとした育成のプログラムがあり,成長していくレールが敷かれている。その軌道にしたがって進めば,基本的な汎用性のあるスキルは身につけられるようになっている。もちろん,それが全てではなく,いろいろな専門性の研修もオプションで用意されている。一番の問題は,派遣社員そのものが,会社から教育の機会を与えられていないことに何の疑問も持っていないことである。大企業にはそのような成長を促す教育プログラムがあることすら知らない。同じ職場の正規社員が,時々研修で居なくなることを目の辺りにしながら,派遣社員だから仕方がないんだ,とぼんやり思っている程度ではないか。
縛られることがない気楽さ
これだけの格差があるのに,彼らはどう感じているのだろうか?先ずは,圧倒的に多いのが,格差を感じているがどうしようもない,との諦めの境地である。大企業で正規社員と同様に働けていることだけで,十分と云う者も多い。特に,女子の派遣社員など,大都会の真ん中の一流のオフィスで,同じ服装をさせてもらって快適に仕事をしているだけで十分と云う人もいるように聞く。それほどまでではなくても,一流の企業の一員として,派遣という形ででも仕事ができるだけで,満足をしている。つまり,日雇い労務者的な生活に困るような不安定ではない感覚になっているのである。
そんな中には,目的をしっかり持って居る者をいる。中には優秀な人間はそのまま社員に登用される道もあるところができてきている。また,ステップとして違うところへ転職を目指しているものもいる。だけど大半の人間は,同じ仲間がいる安心感で,今の生活が安住の地と間違うかのようになっている者もいる。同じ仲間がいると云うことはその影響は随分大きい。多分,少数の派遣だったら,その格差を厳然と見せつけられ,何とかしなければと云うファイトも湧いてくる。ところが,同じような仲間が一杯いるだけで,安心してしまっているようである。自分だけが特殊ではない,と。
彼らが決して虐げられているような状態にはなっていない。確かに大手企業のような会社の規則には縛られていない。また,正規社員はいやな仕事でも,与えられた仕事はやらなければならない。組織の中で,決められた枠の中で仕事をしなけらばならない。個性を活かすことはできても,個人の自由裁量にはならない。しかし,派遣社員はそのような縛りは少ない。いやな仕事であれば辞めればよい。辞めても正規社員のように給料が大幅ダウンすることもない。次の仕事さえあれば,給料の差は大きく変わらない。だから,組織に縛られている感覚は全くない。個人の自由裁量がある気楽さがある。
彼らの中に,10年後,20年後を考えている人間は少ない。でも,彼らが40才,50才過ぎになったときのことを考えるとどうなるのだろうと,他人事ながら心配をする。今の気楽さがどこまで続くと考えているのだろうか?
(続く)
派遣社員になってみて感じること
派遣社員の10年後,20年後をどのように考えているか?
[Reported by H.Nishimura 2008.02.25]
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