■モチベーションについて (No.054)
人の意識を変えることの難しさについて考えてみたい
意識改革意識改革など,改革の必要性が叫ばれており,組織責任者はいろいろな場面でそうした場面に遭遇する。そのたびに,組織責任者としては,自分の組織を何とか変えなければならないと自分自身を鼓舞することがある。ところが思いはあってもなかなか改革はそう簡単には進まないのが現実である。そんなじれったい状態が続くと,トップの判断などにもよるが,意識改革の必要性が急迫すると,結局は外部のコンサルタントの力を借りるなど,外部の力に依存する場合が多い。なかなか自浄作用で意識改革が進むことは難しいのである。また,組織メンバーも改革の推進役が仲間内だとついつい甘えがあり,思い切った行動ができないことも作用している。それでも,組織の意識改革はまだ何らかの形で進展する。
ところが,集団では意識を変えることが可能であっても,一人の人間の意識を変えることはなかなか難しいことがある。それは,個人の人となりを揺るがす大きな問題だからでもある。つまり,人にはそれぞれの個性がある。意識改革とは,その個性に踏み込むことになる。したがって,組織として大きな全体を動かすことの起動よりも,個人の強固なガードが立ちはだかることがある。本人(個人)にとって,意識を変えることは例えそれが良いことだと頭で理解しても,なかなかこれまでの人生の中で培われたものを謂わば否定することにもなるので,なかなか身体が云うことを利かないことが多い。他人から見れば,凝り固まった個性をちょっと変えるだけに見えることも,なかなか困難なことが多いのである。
実際,凝り固まった意識の持ち主の意識を変えようとしても,のれんに腕押し状態で,何とも致し難い状況におかれることがある。組織下なので,指示命令で動かすことは可能であっても,真から動かすことはできない。まず,その人の意識,考え方がどのようになっているか,毎日一緒に仕事をしていても判らない部分がある。寡黙な人は特にそうである。口数が多い人は,いろいろ話をする中で,考え方や意識がどうなのかも判ってくる。こうした人に対するやり方は,反応を見ながらこちらの対応も臨機応変にできる。ところが,何を考えているか良く判らない,寡黙な人を操作するのは困難極まる。だから,そうした場合,外部のコンサルタントを使うわけにもいかず,たとえ使ったとしても,一人の個人の意識を変えることが途轍もなく困難である場面がある。
実際には,大勢の組織では風土・文化と云うなかなか変え難いものがあるが,一方でどこかで変化のきっかけを掴むと,小さな力でも梃子が働いたようにおおきなうねりに化けることも往々にして起こりうる。これは,人の手前とか,見栄の部分が大きく作用していて,そうした部分をくすぐられると,組織としては脆い部分がある。自分ひとり反抗していても,周りがみんな動き出すと,その動きに攣られて動かざるを得なくなる現象が起こる。集団心理が働く。この梃子に相当する初期起動を如何に上手くやるか,によって大きな力が発揮される。その意味では,大勢の組織の意識改革の方が,一人の意識を変えるよりも易しいことがある。
中小の企業で意識改革が難しいのは,なかなか人材が居ないと云う理由も大きいが,もう一つには大きな組織でなく,個人の意識を変えるのに近いからであろう。もともと順応性の良い,フレキシブルな人が居る場合は,そうした職場では意識改革は必要ではない。意識改革が必要とされる職場は,前述したような何を考えているのか良く判らない人が居る組織であることが多い。その場合,一人の意識を変えることと同様で,非常に困難なことになってしまう。一人の人間をも変えられないようでは,意識改革ができるとは云えない。組織で意識改革ができるのは,その中に優秀な人が居たからであって,本当の意識改革は一人からである。それを困難と云っているようではまだまだ未熟だとベテランの人から言われそうな気がする。
個人の価値観最近の若者は余り不自由なく暮らしているので,定職に就いていなくても何とも思っていない。もちろん給料に差があるので,定職に就いた方が良いことは判っている。しかし,自由を束縛されることを嫌がって,自分の思うままでやっていくことを優先させる。こうした若者が結構多い。彼らは仕事で指示されることはやるが,それ以上のことは積極的にやらない。自分のスキルを磨くことも,必要性よりも,自分の好みに合っているかどうかで判断しているようである。これは仕事をする上で重要なことだと説明しても,右から左へ受け流す。何かの歌詞ではないが,そんな風潮が見られる。彼らに意識改革を唱えても全く暖簾に腕押しである。価値観が根本的に違う。これを変えるのは並大抵ではない。
もともと組織下で働くことが嫌な人間で,適当な給料を貰っているだけで満足している。いや満足しているかどうかは判らないが,組織下で厳しい要求をされることを嫌い,自分の思うままに行動する。仕事に対するモチベーションを上げる以前の問題がそこにはある。モチベーションを上げるそのものの目的が違っている。自分の興味あるものに対してのモチベーションを高めているのであって,組織における仕事をやる上でのモチベーションには無関心と云った方がよい。一般的なモチベーションの尺度で測っても,計れないのである。一般的に正社員になっている若者は,個人の価値観として以前とは変わってきてはいるが,大きな組織に入っていると,先輩など周りの目がいろいろある。そうした時間を一日の内で何時間も過ごしていると,個人の価値観だけで仕事が上手く進まないことが判ってくる。独りで完結できる仕事など,そう多くはない。何人かの仲間と共に仕事をしていくと,個人の価値観を抑えなければ成り立たない場面がいくつか出てくる。そうしたことが繰り返されている間に,価値観が修正されていく。普通はそうなってしまう。
ところが,昨今は一見正社員と見えて大きな会社で働いていても,派遣社員の身分の若者が多い。彼らにも先輩は居るが,人を育てるような風土を作ろうにもその土台すらない。根無し草状態である。だから,個人の価値観のみで仕事をしている。いやだったら,会社を辞めて,違うところへ移る。そうしても,給料そのものに大きな変動はない。会社を辞めることのハードルが極めて低いので,すぐ飛び越えられる。正社員にはキャリアパスとまではいかなくても,人の成長を促す教育が体系としてある。しかし,派遣社員には,殆ど教育に関する体系など無いのが実態である。モチベーションを上げろ,と云う方が間違っているのかも知れない。これは,派遣社員がみんなモチベーションが低いと断定している訳ではなく,中には希ではあるが,自分の目標を定めて頑張っている人もいるが,一般的にはそうした傾向が見られる。この問題については,いずれもう少し詳しく考えたい。
あなたのモチベーションは高い状態ですか?
将来の目標を明確に持って仕事をしていますか?
昨年一年間にどれだけ教育・研修を受けましたか?
[Reported by H.Nishimura 2008.02.18]
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