■年金の問題 (No.052)

2007年度の問題のもう一つが,「年金問題」であった。

既に60歳を超えた私にとっては,年金問題は,身近な問題である。私の場合,大学卒業と同時に就職し,その会社で,ずっと約38年間お世話になってきたので,厚生年金一本で極めて単純なケースであり,問題となる対象ではなかった。再就職したので,年金は殆ど未だ貰えていない状況である。損得勘定では,貰わないと損かもしれないが,世の中のために働ける喜びがあれば,それで十分である。カネには代えられないものがあるように感じている。

そもそもこの制度は,若い世代がお年寄りを面倒見ること,即ち世代間扶養の概念で日本の年金システムは成り立っている。したがって,少子高齢化になってきている日本では,そのシステムが成り立たなくなりつつある。既に破綻しているとの意見もある。しかし,この制度そのものは日本人の考え方にぴったり当てはまった考え方ではないだろうか。単に金持ちが貧乏人を救済するのではなく,国民がこぞってお年寄りを大切にし,日本に生まれて良かった,と次の世代につないで行くことはすばらしいことであると思う。

このすばらしい制度にミソをつけたのが社会保険庁である。裁判になるような犯罪を起こした事件はともかく,グリーンピアなどに代表される不要な施設を次から次へとつくり,その果てに二束三文で売り渡さなければならなくしてしまった責任は重いものがある。要は,預かった年金を無駄使いしてしまった責任である。当時はそれで良かったのだ,と云う考えもあるようだが,事実消えてしまった年金に対する責任が誰一人採らないのは,大きな憤りを感じるとともに,不思議な感がしてならない。

自分が払った金額に見合った年金が返ってくるようにすれば良いとか,納付するかしないかと云った現行のシステムではなく徴収を税金のように強制的にする方がよいといった意見もあるようである。容れ物が一つあってそこへみんなのお金をプールして,お年寄りに必要な金額を払い出すというシステムは,いかにもドンブリ勘定でいろいろな問題を発生させる温床になっているような気がしてならない。またその徴収方法も,一律の一定額に決められているのも不思議である。二十歳になれば収入を得ていない学生でも支払う必要があると云った点も何となくおかしなシステムである。世代間扶養と云うのは少なくとも経済的に自立している成人がお年寄りのために負担すべきもので,収入も得ていない学生に負担させるのも納得しがたいものである。複雑さを避けるために,年齢一律にしたのだろうか。

事実上破綻してしまっているシステムを立て直そうとするには大きなエネルギーが必要である。全くの新地に新しいシステムを構築するのとは違う。今まで年金として収めてきた人もそうでない人も新しいシステムで同じような扱いを受ける(一斉に同額支給することではない)不平等でないシステムを作ることはまず困難であるようである。どこかに,不平等が生じるそうだ。国の税金負担を1/3から1/2に引き上げることが云われているが,せいぜいその程度の改善しかできない。日本のお年寄りが最低限の保証をされる内容にならないと,本来の目的を達成したとは云えない。

消費税で賄う案も浮上しているが,一律税率を上げるのは賛成しかねる。なぜならば,一般消費税は,貧富の差なく,平等に一律徴収する方法である。金持ちは消費を多くするから負担が大きくなるとも云えるが,最低限の生活をしている人にとって,消費税アップは,その分だけ生活を切り詰めなければならなくなる。それでも,本当にお年寄りが全て安心して暮らせる福祉国家ができるのならば良いが,どう考えても中途半端なままである。それならば,物品税のような形で税率をアップした方が,より平等感が出るように思う。そうすれば,高額な品を買う人に負担が重く,生活費しか使わない人には負担が軽い。なぜ,そうした案にならないのか,不思議な気もする。これも一部に不平等だと云う人がいるからなのだろうか。

NHKでも年金に関する討論会が行われていた。そこでも意見は千差万別,世代間の違い,職業での違い,都市と地方での違い,といろいろな観点が述べられていた。結論はこれと云った名案はなく,言いたいことを各人が述べるに止まった。話題性はあるが,方向性すら打ち出せない。見ている人に関心を呼び起こす役割は果たしたが,それ以上の何物でもない。
テレビ討論ではこれが限度かもしれない。

年金問題は,他人事ではない。いずれ日本人ならば関係がある問題である

若い人がお年寄りを助けるのが当然でありたいものである。若者よ,奮起せよ!!

 

[Reported by H.Nishimura 2008.02.04]


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