■薬害肝炎の問題 (No.050)

2007年度を揺るがした問題の一つ,薬害肝炎問題が,衆参両院で議論立法が可決した。(1月11日)

団結力の強さ

2003年から実名を公表して頑張っている女性がいる。原告団の代表者の山口さんである。インターネットを通じての情報でしかないが,幾多の困難を乗り越え,今日の勝利を勝ち取った精神力には人並みならぬものである。そうした人がいるから,原告団として後についていく人がいる。当に,リーダのリーダたる所以であろう。権力も何もない一人の女性が,リーダシップを発揮して行動した結果である。彼女をしてここまでさせたものは何か。彼女自身をも一回りも二回りも成長させたものだろう。

国を相手取っての戦いである。「次の世代に,二度と同じような過ちを犯さないためにも」と云う動機も,それだけでこのようなことができたのか,疑問でもある。誰かに支えられての戦いだったのかも知れない。テレビでは,次男の応援している姿があったが,最初から真に支えてきた人がどれだけいたのだろうか。昨年度,話題が大きくなって関心を持った人が殆どではないだろうか。ビラを配っていても当初は見向きもされなかったように聞く。それにもめげずに闘い続けてきたのが,このような結果をもたらしたのだろう。

意外だったのと,心を打たれたのは,彼女たち,原告団の結束の良さである。自分たちの主張のある部分,特に金銭面の部分での満足できる回答が出た段階でも,即座にそれを拒否している。裁判とは長引かせれば勝てるものではなく,どこかで妥協点を見出さねばならない。その妥協点をみんなが一致団結できるかは,微妙なものがある。歩み寄りのある段階で,今回で云えば,12月20日の政府案で,もうこれで十分と思う人もいたのではないか。しかし,それを誰一人言い出さずに,即刻反対を表明できるだけの団結力があったことに感心する。

テレビや新聞で見聞きした話だが,中には妥協案を出された段階で,家族の方が本人の健康面を気遣ってもうこれで十分ではないかと,意見の対立があったとも聞く。また,集団交渉には,必ずこうした妥協案を前に団結の切り崩しが行われるそうである。一人,二人と切り崩して行って団結力を弱め,妥協案を飲ませてしまうやり方である。本当の詳細な経緯は知る由もないが,一糸乱れず切り崩しも行われずにゴールまで辿り着いたのは,そうしたスキも見せなかった団結力がお互いにあったのだろう。これは,一人のリーダシップによるものではなかったように見えた。薬害を被った仲間意識が強かったように感じられる。

厚労省や薬品会社の責任

原告団が強く求めていた国の責任についても,法律の前文で「政府は,感染被害者の方々に甚大な被害が生じ,その被害拡大を防止し得なかったことについての責任を認め,心からおわびすべきである」と明記はされた。しかし,何一つ,責任追及がなされないまま,金銭面での解決で終わらせようとする態度が見える。

原告団の主張は,責任問題もさることながら,「二度と同じような薬害問題が起こらないようにして欲しい」ことである。そのためには,このような薬害が発生した原因が解明されなければ,再発防止策も採れない。しかし,原告団と被告側には,大きなギャップがある。「薬には多少のリスクが伴う。それは当然のことで,それをすべて補償するのでは,新薬の開発もできない。」と云った感覚が,被告側にあることは否めない。これは,被害を被った人にとっては,多少のリスクで済まされない。今回のように,人生そのものを大きく狂わされた人が居る。

マスコミの報道によれば,当時の厚労省の責任者は,天下りして,全く責任も感ぜずに居るようである。仕事としてルールに則ってやっているのに,それを素人がクレームを付ける権利があるのか,とでも云わんようである。しかし,人の命,人の人生を狂わせるような判断が,ルールに則ってやったからと認められるものではないはずである。ルールはあくまでも,これまでの経験則に則って決められた決め事である。究極的な判断は,生身の人間がする。危ういと感じたら,ルールを多少曲げてでも,正しいと思われることをやろうとすべきである。何が正しいのか,判断がつかない,と云うのならば,そんな人は厚労省の役人などやるべき人物ではないのだ。

公務員はそのくらい誇りを持ってほしいものである。公僕である。みんなのために働く人である。確かにエリートで一流のキャリアコースを歩んだ優秀な人かも知れないが,そこのは人間としての尊厳も備えておいて欲しい。そうした,尊厳もないただのエリートに重要な役割を任せるわけには行かない。

とにかく,責任を曖昧な形での終結は,また同じことが繰り返される危険性が残る。人を罰するのではなく,そうしたことが起こる仕組み,プロセスを少なくとも排除できないものだろうか。勇気ある責任者が,何が問題で,何をどうすれば,二度と同じ過ちを,後輩達が起こさないようにできるか,語って欲しいものである。それこそ,内部告発でないけれど,真の実態を語る人が出てきて欲しい。薬品会社も全く同様である。利益追求だけでなく,倫理観ある,人間の尊厳を重んじた薬品会社にならなければ,将来はあり得ないだろう。

政府の対応の拙さ

政府は一旦,最終妥協案として,金銭面の問題をクリアした案を12/20に提出し,これで妥協できるのでは,と思っていたのだろうか?詳細は判らないが,結果として,その妥協案に原告側が反対の意志を示し,世論もそれに見方した。と云うより,マスコミが煽ったのかも知れない。期せずして,3日もしないうちに,福田総理による,議員立法での一律救済案を検討することが発表された。

この一連の流れを見ていると,今の福田政権のあり方,と云うより福田総理自身の考え方がそのまま現れているように見える。自分の考え,主張はせず,静かに後ろから見ていて,より良い方になびいていく。今回も,多分官僚に押されて,致し方なく妥協案を発表したのだろう。これは福田さんの意志が入っていたのかどうかは判らない。しかし,その結果,世論が妥協案を出した政府ではなく,原告団の反対意見に賛同した。あわてて後ろで見ていた福田さんは,何とかしなければ政権が危ういと,民主党も巻き込んだ議員立法と云う形で,自分が決断する政府案で決めてしまうことも避けた。

また,三権分離からして総理の判断は当然である。司法が判断していることに,行政府である内閣ができることはあそこまでだ,と云う人もいる。確かにそうかも知れないが,国のトップを預かるリーダならば,3日で変えるような判断を出すなと云いたい。議員立法の案が,3日前に出ていたら,情勢は大きく変わっていただろう。決められたルールの中で,上手く仕事を進めるのが重要である。しかし,今回の経緯を見ている限り,どうも納得が行かない。

数少ない情報ではそのように映る。世論を見方に付けることは非常に大事なことである。世論がこうしたから,政策をこうする,と云うタイプの政治家は不要である。そんな人が一国のリーダをやって欲しくない。むしろ,世論の機嫌取りではなく,政治家としてこうした理由でこのように判断する。それを世論は支持して欲しい。と云ったタイプに,一国のリーダはなって欲しい。世論は,マスコミなど大衆迎合した意見で動かされることがあり,必ず正しいとは限らない。それよりも,日本国,日本人として一番良いと思われることを,果敢に決断する度量が欲しい。安倍前総理,福田現総理とも,人が良すぎる。

薬害肝炎問題をこのまま終わらせて良いのだろうか?

[Reported by H.Nishimura 2008.01.21]


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