■2008年を迎えて (No.048)

昨年1年間を振り返って,いろいろな問題があった年であった。

「偽」の問題

京都の清水寺で年末恒例の今年を象徴する一文字が「偽」であった。このことからも,今年一年,よくもまあこれだけ,と思われるほど食品安全の問題が報道されない日がないほど,と云った感がある。

全体を通して,「金儲けに目が眩んで」と云う印象は拭えない。多分,最初は善意(?)だったのかも知れない。昨今,モノが豊富になり,食べられるものでも捨ててしまうようになってきている。それらの反省で,「もったいない」と云う言葉が一方では取り上げられている。確かに,それぞれの個人の家庭では,賞味期限が過ぎたからと云って,ポイ捨てするとは限らない。十分見定めて,これは未だ大丈夫と判断すると,食べることは普通一般である。

そもそも,賞味期限など昔(1990年代より前)はなかった。調べてみると1995年に制定されている。その制定の背景は,それまでは製造年月日の表示だったが,商品によって賞味期限が違うなどと,一番大きかったのは外圧のようである。製造年月日の表示は,アメリカの輸入品の自由貿易の障害であるとのこともあって,製造年月日の表示から,賞味期限表示に変更されたとのことである。

そうした背景もあって,賞味期限が切れても「もったいない」気持ちと「少しでも儲かる」気持ちが合い重なって,少し伸ばしても問題ないとなり,少しやってみて問題が起こらないとなると,それがいつしか常態化しどんどんエスカレートする。集団ではこうしたことが起こりやすいのである。「正しい意見」が少数の悪い意見となって集団では通用しなくなるのである。

そうした意味では,トップの責任は重い,と云わざるを得ない。なぜなら,食品を販売して,顧客に満足して貰って,それで利益を貰う,と云った基本理念から逸脱しているのである。その食品安全にまつわる倫理観は,トップの責任以外の何ものでもない。社員の勝手な判断でやろうが,誰かの指示であろうが,食品の安全はトップが責任を持っている。知らなかったで済まされる問題ではない。いずれも,「利益」を上げることが最優先になってしまっている結末としか思えない。マスコミで報道されるその態度からも判る。

年金問題

社会保険庁のいい加減さが次々と明るみに出てきた。その実態は想像を絶するものがある。法を犯したものは別として,やっている本人はそれほど悪いことと思っていなかったのではないか,と云う気がする。つまり,周囲全体がそうした雰囲気の中では,何が正しいかを見誤ることがある。濁った水を澄まそうとしてもそう簡単ではないように。

年金のシステムそのものの考え方にも問題がある。つまり,自分が収めたものが必ず,それに充当するものが返ってくる保険とは異なる。そもそも世代間扶養の精神でつくられており,日本特有のシステムである。だから,個人管理が杜撰になっているのである。60歳を超えるまでは,いくら返ってくるのかも判らない。収める方も,60歳を過ぎないと貰えないと,まるで税金を納めている感覚である。よほで几帳面な人でない限り,きっちり納付書を残している人などいない。

そういったシステムだから,今回明るみにでたような,杜撰な管理でも大きな問題にならなかったのである。今の若い世代が収めたお金で今のお年寄りを助けられればよい。若者数人でお年寄り一人の面倒を見るという世代間扶養の精神である。こうしたシステムは根本的なシステムの考え方の問題とその運用方法の問題をきっちり見定めておくことが大切である。たぶん,有能なお役人が十分検討されたシステムであろうが,現に破綻状態に陥ってしまっているのは,やはり欠陥があったと云わざるを得ない。

新たにシステムを作り直せと云えば,素晴らしいシステムの考案はそう難しくないだろう。しかし,現状システムからの変更を含めて,当初の社会的扶養の精神を受け継ぎながら,今の人口構造を踏まえて,日本人全員が納得できる案はそう簡単には出てこないだろう。

C型肝炎問題

本来訴訟は,自分(たち)のために訴えを起こし,争うものである。フィブリノゲンの血液製剤にまつわる問題は,その詳細は十分把握していないが,厚生労働省が認可したものを投与されて,その結果数十年後にまで及ぶ病気で苦しまなければならないのは,気の毒では済まされないものがある。

ただ,見ていて感心したのは,訴えていた人にはほぼ要求通りの補償がなされる政治判断が一時されたことにも応じない強さである。政府側が,「これだけ譲っているのに,あなた方は何を求めているのですか」と,お金で解決しようとした態度に,彼女たちは「お金の問題ではない。こうした薬害問題が二度と起こらないように・・」と,主張を曲げなかった。つまり,厚生労働省の誤りを認めさすことと,患者全員の一律救済を目指して,一致団結して最後まで主張を貫いたことである。その甲斐あって,ようやく議員立法で決着がつきそうである。

よく知らなかったが,通常こうした団体交渉の裁判では,ある程度の妥協案を示された段階で,集団の切り崩しが行われるそうである。つまり,いろいろな人が集まった集団であるので,自分の要求だけを見れば,十分な回答を引き出した段階で,これ以上裁判を長引かせてもメリットがないと判断する人が必ずおり,そうした人を一人,二人と切り崩し,団結力を弱めていくやり方が,行われるのが当たり前のようである。そうして,集団の意見をバラバラにさせることで,諦めの雰囲気を蔓延させ,妥協案を通すそうである。しかし,今回の集団は一糸乱れず,主張を変えることなく最後まで押し通した団結力はすごいものであった。

昨今,自分だけが何とかなればそれで十分,他人のことまで構っていられないと云う人が多い。そんな中で,自分のことはもちろん,それだけでなく同じ薬害の影響を受けた仲間全員を救うために戦った団結力は賞賛に値する。同じ被害を受けた仲間と云う気持ちだけではそこまでできなかったのではないか。それ以上のものが,あったに違いない。それが何だったのかは知らない。想像するに,どこまでで決着するかという目標・目的(薬害を二度と起こさない反省と患者全員救済)がしっかりして全員の気持ち,ベクトルが全くブレることなく持続できたのであろう。そこまで彼女たちをさせたものは・・。

 *以上,2007年に起こった問題は,機会があれば,この「技術よもやま話」に取り上げて考えてみたい。

再就職で新たな仕事に

2007年度は,還暦を迎え,定年退職し,半年後には,再就職して新たな仕事に就くという変動の一年であった。まだまだ老人として晴耕雨読で老け込むには若い。それ以上に,社会へ今までのお返しがしたい気持ちで一杯である。

責任ある立場ではないが,若い人に囲まれ,これまで培ってきた技術スキル,技術ノウハウが活かせ,世の中に伝承していくことができれば申し分ないと思っている。とにかく,まだまだチャレンジ精神は旺盛である。今年一年も,伸び伸びと好きなことにチャレンジして行こうと考えている。

2008年,新たなチャレンジを!!

 

[Reported by H.Nishimura 2008.01.07]


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