■組織力の低下 1 (No.043)
組織知について述べてきたが,今回は組織力そのものが低下しているのではないか,と感じているので,そのことについて述べてみる。昨今の変化の激しい時代にあって,組織力,特に技術にあっては「技術力」を確固たるものにするとか,前述した「組織知」を蓄えるとか,いわゆる組織のベースとなる部分の強化がどれだけきっちりと行われているだろうか,と云う点に疑問を投げかけたい。
なぜ,そんなことを考えるようになったのかと云うと,組織がヒエラルキーだった我々の時代と違って,フラットな流動的な組織が流行っている。果たしてこうした組織で本当に組織力は強まっていくのだろうか?と云う素直な疑問である。もちろん,自分自身が歳をとったので,自分たちの時代との比較でそう感じている部分もある。しかし,そうした感傷的なものではなく,このままの状態で放っておくと,気が付いた頃には,日本の組織力そのものが非常に弱ってしまっていた,と云うことにならないだろうか。その結果,経済大国と云われている日本が,いつのまにか後進国に追いつかれ,抜き去られてしまった,と云うようなことが起こらないだろうか?
組織力の専門家がおられるので,私などが心配することではないかもしれないが,現場では少しずつ,見えない形で弱っているように感じられてならない。それらは,次のようなポイントである。できることからやる
昨今の状況を見ていると,果敢にチャレンジすることよりも確実にやれることからやる,と云った傾向が見られる。つまり,仕事のウェートが本来果たすべき役割を見据えた上で,重要だと思われることからやるのではなく,やれること,簡単に手がつけられることからやっているような気がしてならない。言い換えれば,本来,組織として部長が果たすべき役割をせず,課長レベル,或いは課長の延長線上の仕事をやっているのではないか。また,課長が課長レベルではなく,主任レベルか主任の延長線上の仕事をコツコツ真面目にやっているようになってはいないか,と云った心配である。ヒエラルキーの組織でないだけに,そうしたことが判らなくなっており,一段下の仕事に埋没しているように映る。
なぜ,そのように感じるかと云うと,非常に情報の行き来が容易になっているから,課長ならば,従来は主任の仕事の内容を報告させ,それをフォローしていれば十分だったものが,メールなど便利なものができて,つい下の実務者の仕事までが見えるようになっている。そうなるとやはり気になり,そうしたことにまで関心を向けることになってしまう。つまり,本来の仕事に余分な仕事が加わる。余分に仕事ができればそれでもよいが,メールなどでも日に数十通も来るとなると,そのチェックだけでも大変である。その結果,やれることからやっつけていく仕事スタイルになってしまう。それの方が簡単だからである。
結局,肝心な重要な仕事をする時間がなくなってしまう。いや,無くなってしまうのではなく,仕事をしたという妙な充実感があるため,仕事が出来なかったとは感じていない。忙しく一日仕事に追いまくられたことが,あたかも重要な仕事をしたように錯覚しているだけである。できる仕事なので,ある程度の結果もついてくる。こうなると,リスクを伴うチャレンジングな仕事など結果がどうでるか判らないため,避けようとするようになってしまう。その結果,気づいたときには重要な仕事が置き去りにされてしまっているのである。これは他人事ではない。昨今の特に若いリーダには多い傾向である。
良い意味で先を読むのではなく,悪い意味で先を読んでしまう。組織が大きく,強く伸びるはずがない。
目標を与えられないとできないもう一方で,新入社員時代から上から目標を与えられ,それに向かって邁進する仕事のやり方は会得できている。そうした人が,主任になり,課長になる。順番に階段を上がっては行くが,フラットな組織では,階層型でなく文鎮型であり,いつのまにか上にまつりあげられていたと云ったケースも見受けられる。つまり,目標を与えられていたものが,今度はいきなり目標を与える立場に変わる。それも徐々にではなく,いきなりである。ヒエラルキーの組織では,自分の一段上の人の仕事ぶりが具に判った。だから,自分が主任になったら,課長になったら上司のような仕事を,と云った具体的な目標が目の前にあった。それは,教わるわけではなく,いつしか見習うようになったいた。
しかし,昨今はそうした環境は多くはない。だからいきなりリーダにされても,与えられた目標を遂行することには慣れているが,目標設定が自らできるまでには,時間が掛かる。リーダだといっても,見習い期間もなくすぐ実践である。そういったリーダの下の組織では,与えられた目標を目指すのが精一杯で,自らの組織の課題を形成し強い組織力にするようなことは全くなおざりにされてしまう。最初暫くは大目に見ても,その状態がいつまでも続くことがある。上司,先輩が熱心に指導することも少なく,若いリーダに自由にやらせてみるスタイルが結構多い。ここでは組織力は強化どころか,低迷してしまう怖れがある。
社員でなく外部依存が増えつつある昨今の風潮であるが,社内に社員以外の外部委託社員が増えてきている。ともすると,社員よりも多い外部委託社員が居る会社も珍しいことではなくなっている。こうした中で,組織力のあり方はどのように考えればよいのだろうか?いわゆる「組織知」なるものが,社員に蓄えられるのではなく,外部の委託社員が蓄えている事態が起こっている。付加価値の少ない仕事を負担して貰っている,と云いながらも,どんどん社員と同じレベルの仕事をさせるようになってきている。それどころか,社員よりも,レベルの高い仕事をやっている外部委託社員も多くなっている。ひどいところは,社員がまとめ役のような,付加価値を生み出さないような仕事になっている。
確かに,利益を上げるために技術をはじめとするスタッフ部門の固定費負担を軽くしなければならないことは良く判る。そのために社員ではなく,外部委託社員で安い工数で賄うことは手段として一つの方法である。しかし,本当に仕事内容まで十分把握して,組織力が落ちないように考えているリーダがどれだけいるだろうか?人が居ないと仕事が進まない。新入社員は殆ど入ってこない。止む無く外部委託社員でその場を凌ぐこともやらねばならない。しかしよく考えて欲しい。あたかも身を削って得たような利益がどれほど次世代に有効に働くだろうか?そんな利益の稼ぎ方でない方法がいくらでもあるではないか!!
以前,外部委託社員も少なかった時代は,社員が外部委託社員のやっている内容を把握し,「組織知」なるものは会社内に確保されていた。しかし,昨今の状況では,そんなことにはなっていない。見かけ上,外部委託社員は付加価値の少ない工数,つまり安い工数としてしかみなしていない。しかし,技術部門などでは,安い工数ながらも,そのノウハウは,確実に外部委託の人に落ちている。会社に蓄えられる仕組みはあっても,それは形式知化された一部であって,肝心の暗黙知は蓄えられない。肝心な「組織知」としてスパイラルアップさせなければならない部分は欠落してしまっている。
ここに大きな落とし穴があるような気がしてならない。
(続く)
組織力の低下はそれほど顕在化していないが,日本企業の組織を確実に蝕んでいる!!
リーダよ,組織を守れ!! (決して受け身で言っているのではない!!)
[Reported by H.Nishimura 2007.11.26]
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