■組織知とは? (No.041)

前々回,組織知を蓄えることが重要であると述べたが,組織知とはどんなもので,なぜ重要とされているかについて述べる。

前々回で,データと情報の違いから,組織においても,「データ」→「情報」→「知識」,それも個人としての「知識」でなく,組織としての「知識」となることが重要なのである。「暗黙知」から「形式知」に変え,「組織知」として蓄え,それを有効に利用することが重要なのである。と述べた。今回はその点について,もう少し掘り下げることにする。

私は前の会社で仕事をしている中で,幾度と無く,個人のノウハウだけで仕事をしているようでは技術とは云えない。それは,技能で仕事をしていることになる。それでは,その人について廻る知識であって,その人が居なくなったり,職場を変わったりすると,途端に組織としての仕事のレベルがダウンしてしまうではないか,と訴えてきた。ところが,定年後に再就職して,そうしたことを今改めてしみじみと感じている。それは,過去経験した会社とは,全く違った会社で仕事をしているので,会社における風土・文化が全く違う。つまり,その会社の「組織知」なるものが,「個人知」(個人のノウハウ)もさることながら,会社の風土・文化に根強く左右されていることを改めて感じたからである。

会社の良し悪しの比較は別として,「組織知」をどれだけ大切にし,それらを風土・文化にまで育て上げているか否かについては,感じるものがある。つまり,同じ会社の中にいると,その風土・文化と云うものが余りにも大きなものなので,じっくり振り返ることは少ない。確かに,事業部を変わったり,同じ会社内でも,小さな独立部門(子会社)に行くと,そうした風土・文化の違いは感じてはいたが,それでもやはり同じ会社内である。全く違う会社で仕事をすることは初めての経験なので,風土・文化の違いにまともにぶち当たっている。

我々は,ある会社に就職するとある一定の入社教育や先輩諸氏から仕事のやり方を教えてもらう。それは当然のことと受け止めているが,実はそれにも,大きなレベルでの「組織知」の恩恵を受けているのである。就職した会社によっては,徹底した入社教育を行いその会社の「○○会社マン」として最低限のレベルに仕上げられる。これは,その会社の風土・文化の現れの初期段階で,ある一定の組織知を得たレベルからスタートすることになる。しかし,そうした入社教育もいい加減な会社では,ゼロからのスタートである。これは,明らかにサラリーマンとしてもスタートした時点で差がついてしまっている。

しかし,我々は同じ会社の同期とは比較できても,他の会社の人との比較は難しい。給料に差がある位の比較はしても,風土・文化の比較などはできっこない。ところが,こうした風土・文化はずっとその会社にいる限りついてまわるもので,そうしたベースに乗っかっているか,いないかでは大きな差になるのである。

いきなり風土・文化の話をしてしまったが,実は「組織知」の結集が,積もり積もって風土・文化になるからである。実際に,風土・文化が,その会社の規程や基準,要領,マニュアルといったもので支えられている。それらが,その会社での行動基準になるからである。それらが,どのようにして作られていったかは,会社の過去を振り返らないと判らないが,大抵は先輩諸氏がいろいろ課題や問題を解決する中での,ノウハウが時節と共に集大成されていったものに違いは無い。それらがしっかりしている会社は,その伝統が風土・文化となって,さらに時代に合ったものへと変化しながら受け継がれているであろう。

それでは,今新しく会社を作ったと仮定して考えてみて欲しい。先ずは,会社の規程,運営ルールを決めるだろう。従業員の雇用条件や就業規則が必要になる。さらには,仕事を進める上で,基本的な進め方を決めるだろう。これらは,全てルールとして,ドキュメント化されることになる。つまり,こうしたい,ああしたい,このようにすべきだ,と云ったノウハウを持った人が,ルールを決め,ドキュメント化する。それに従って,次々改良を加えたり,或いは新しいルールを作っていくだろう。これらは,ドキュメント化されるところから「形式知」と呼ばれるものになる。つまり,ノウハウである「暗黙知」を「形式知」に変換しているのである。(「暗黙知」と「形式知」については後述する)
一人では必要ないものでも,複数の人が集まった組織では,ルール,マニュアルといったものが必要になる。仕事をする上では,欠かせないものになる。そうしたものが無いと,組織としてまとまりがつかず,力も発揮できない事態になる。したがって,会社で仕事をしているといやおう無く,ルールやマニュアルがその拠り所になる。これが,会社としての最もベーシックな「組織知」である。

ところが会社によって,いろいろな取り決めが違っている。もっと云えば,風土・文化が違っている。古い会社が必ずしも良いと云うわけではないが,「知識」を大切にする会社とそうでない会社では,その格差がどんどん広がっている。特に,高度成長期のような,みんなが同じ方向に向かって走っている場合はそうでもないが,今日のように変化の激しい時代にあっては,「知識」で仕事をする場面が増えてきている。「ナレッジマネジメント」(Knowledge Management)と云う言葉が流行りだしたのも,ここ10年くらいである。

なぜ,こうした「組織知」が大切かと云うと,それが代々伝わることで,非常に大きな力になると云うことである。つまり,「知識」を大切にする会社で育ってきた人は,トップから中間管理職までそうした考え方,風土の中でもまれて育っているので,「知識」の重要さが,無意識の中にできあがっている。これは非常に重要なことで,その人たちが次世代にも伝承すると,「知識」がどんどん蓄えられていくのである。私は,それがその会社の風土・文化・伝統なのだと感じている。つまり,逆にそうした環境下で育たなかった人は,その「知識」の重要さを身を以て知らない。もちろん,いろいろな書物に書かれているので,重要さを感じる人は中には居るが,それが組織全体にはなかなか広がらない。

一般的に,経営状態がすばらしいと云われている会社には,そうした「組織知」を大切にする風土・文化が根付いているように感じられる。必ずしもそうだと断言出来ないのは,現時点での経営状態であって,20年,30年後にその会社がどうなっているか判らないからである。もし,20年,30年後に現在同様,素晴らしい会社で居続けている状態になっていたとすれば,少なからず「組織知」を大切にしている会社であると云えるのではないだろうか。それほど,会社経営を揺るがすほど,大切なことなのである。

不幸にして「組織知」を重要視されない会社に現在居る場合は,仕方がないと嘆くしか方法はないものか? 会社組織なので,そう思うのもやむを得ないし,それが一番楽なのかも知れない。しかし,少なくとも組織責任者になっている人は考えて欲しいものである。如何にして,自分の会社をより強い組織に仕上げていくかと云う点を,真剣に考えて欲しい。簡単な答えはない。「知識」を重要視するには,リーダが率先垂範して,自分の持っているノウハウ(いわゆる「個人知」)を,部下のメンバーにオープンにし,共有できるようにすることである。それが,メンバー全体に浸透し,やがて会社全体に拡大していくことであろう。改革は小さなことを着実にできるようにすることから始まる。

残念なことに,そうした「組織知」の重要性を知りながら,行動に移していないリーダが多い。一般知識としては,ナレッジマネジメントが何たるかを知ってはいるが,行動に移せないリーダ達である。「組織知」の必要性を,面と向かって問いかけると,誰一人リーダで否定する人は居ない。でも,なかなか実践できないでいる。それだけ,難しいことなのかも知れない。自分の頭の中にあるものを,明解にドキュメント化するにはエネルギーが要る。そのエネルギーを持っている人が少ないのかもしれない。もっと他に重要なことを抱えているのかも知れない。会社にあってリーダとして,それほど重要なものがあるのだろうか?ミッションそのものが曖昧なのかも知れない。

どのように「組織知」を作り上げて行くかについて,「形式知」「暗黙知」と共に,次回以降で説明してみよう。

あなたの所属している組織は「組織知」を大切にしていますか?

個人知(個人のノウハウ)に頼って仕事をしていませんか?

あなたの組織は強いと思いますか?

 

[Reported by H.Nishimura 2007.11.12]


Copyright (C)200  Hitoshi Nishimura