■全体から見ることの重要さ 2 (No.032)
プロジェクトマネジメントに通じる(大局から見る)
グループ内で進捗を確認しあう会合がある。こうしたとき,メンバー全員に進捗度合いを順番に聞いていくやり方がある。メンバーが各々関連しない仕事を持っていて,それを上司が確認する場としてやっているのであればそれでもよい。多くの場合,プロジェクトになっていて
メンバーが各々のパートを持っていることがある。或いは,進捗確認をプロジェクトメンバーでやる場合も多い。こうしたときには,必ずしもメンバー全員が均等に進捗を報告するというのは,進捗管理すると云う観点からは好ましくない。
なぜなら,プロジェクトの進み具合は,メンバー全員が全体の進み具合を共有しながら進めることが鉄則である。全体の進み具合が判らなく,言われたことだけをきっちり進めていると云うのはプロジェクトになっていない。指示されたことをこなしていく下請け的なやり方に過ぎない。これでは,プロジェクトの進み具合がメンバーの力を最大限発揮させることにならない。
言い換えれば,メンバーの力を最大限発揮させるために,まず,リーダがメンバー全員に全体の進み具合を説明することが重要なポイントである。つまり,クリティカルパスの進捗状況が順調か,遅れているか,それが全体のプロジェクトの進捗にどのような影響を及ぼすものか,それを進捗の会合では一番にやる必要がある。そうして全貌が理解できた中で,プロジェクト全体の進み具合の問題のある箇所からフォローしていくやり方が適切である。
そうすれば,自分の受け持っているパートが全体にどのような影響を及ぼすかが自然に理解でき,クリティカル・パスで困っているメンバーには,極力助言や必要な情報を的確に与えたりすることができる。これがプロジェクトメンバーのあり方である。
そのためには,まずリーダは,少なくともプロジェクト進捗の全体を把握するためクリティカル・パスはどこにあるか,リスクの高い,不確定要素の大きいパスはどこかを明確にしておかなければならない。そして,その部分を重点的にフォローすることである。全体の進捗を管理することは,すべてを満遍なくフォローすることではなく,重点的に管理することである。特に,若いリーダやプロジェクトを初めて進めることになったリーダには,その勘所がなかなか理解できない。冷静になって考えれば判ることであるが,問題が発生するとついそちらにばかり目を奪われて全体を見失ってしまうことがある。
「見える化」という言葉が流行っている。これも,頭の中で考えていること,或いは口頭で言っていること,どこかを見ればデータとして蓄えられているもの,こうしたものを共有できる「情報」にしようと云うものである。当に,プロジェクトなどはメンバー全員が進捗具合が判るように,文字よりもグラフやチャートなどを使って「見える化」して共有することが重要である。
全体像が把握できないと効率が上がらない
我々はいろいろな仕事をしているが,自分だけで仕事をしていることは少なく,多くの仲間と共同で仕事を進めていることが殆どである。こうしたとき,自分の仕事の先がどんな仕事であったり,或いは自分の仕事が誰に,どのように影響するのかが,判っている場合と判っていない場合では,やり方も違ってくるし,やる気も違ってくる。
また,自分だけ頑張っても全体ではなかなか上手く行かないこともある。自分の仕事だけが抜きん出て先走っても,仲間の仕事がそれに伴っていなければ,できるまで待っていることになる。それよりも,自分の仕事を先走るのを止めて,仲間の仕事を分担した方が全体では早く仕事が進むことになる。つまり,部分最適でどれだけ頑張って,最善を尽くしてみても,全体最適にはなっていないことがある。こうしたことにならないためには,やはり全体が判っていなければならない。
それは,上の人,リーダの人が判断することで,自分の役割ではない,と云う人もいるだろう。確かに,役割から云えば,上の人,リーダの重要な役割である。しかし,結果的に仕事全体が上手く行かなければ,自分の仕事の成果も出なくなるのである。役割を明確にすることと,お互いに助け合うこととは,裏腹であるが,仲間として同じ仕事をするのならば,役割を云々する前に助け合うのが正常な姿である。共通の目標(ゴール)を目指して頑張ろうとする仲間同士は,自分の仕事と共に全体の仕事がどうなっているかを理解することが必要であり,リーダはメンバーが全体像が判るような的確な情報を与え,共有できる環境を作っておくべきである。
木を見て森を見ず 群盲象を評す,撫でる
このような表現が昔からある。同じことを表現している。「木を見て森を見ず」とは,木(身近なもの)ばかり見ていて,森(全体)を見ることができていない,ことを云っている。一本一本の木に目を奪われて,森全体を見ないこと。ものごとの些末(さまつ)な一面に拘(こだわ)り過ぎて,本質や全体を捉(とら)えられないことの喩え。全体像が分かっていない状態に対して使う諺である。
「群盲象を評す,撫でる」とは,最近は使われなくなっている。一つには差別用語が用いられているからでもある。これも,多くの盲人が象を撫でてみて,その手で触れた範疇内で象のことを云々すると云うことで,凡人には大人物や大事業の一部分しか掴めず,大局からの見方はできないこと,を云っている。
出典や深い意味は別に調べて貰ったらよいが,我々はともすると,全体像が判っていない状態に陥ったり,見たり聞いたりした狭い情報だけで全てだと思いこんだりすることがあることを,こうした諺を通じて覚えておこう。
プロジェクトの成功はどれだけ大局的に見て判断できているかが大きなカギを握る
[Reported by H.Nishimura 2007.09.10]
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