■環境問題を考える 3 (No.017)
対照的な「環境問題」に対する書籍を紹介したが,技術者としてどのように「環境問題」を考えるべきかについて,経験を交えて述べてみよう。
環境問題と技術者
環境問題は我々にとって重要な問題であることには変わりない。それをどのような視点で捉えるかによって,意見がいろいろ分かれてくる。しかし,技術者として,純技術的,論理的な観点から,物事の本質を見抜くことは必要なことである。もちろん,政策的にやらなければならないことを軽んじる訳ではないが,みんながやっているからと盲目的に信じることは一度立ち止まって技術的,論理的な見方をしてみては良いのではないか?
環境問題は,自分の身に関わることもさることながら,我々の子孫に悪影響を与える問題も含んでいる。したがって,自分たちの身だけを考えるのではなく,長期的な観点で物事を見る必要がある。そうした点では,技術者はどちらかと言えば,一時の感情に囚われることなく,冷静沈着に物事を見る習性が付いているのではないだろうか。
私自身も,前述の二冊の書籍を読んで,複雑な気持ちになったのである。比較的冷静に見ていたつもりであったが,まだまだ環境問題で知らなかったことが多いのであった。もちろん,二冊の書物が事実には反していないと思うが,自分の言いたいことを誇張して表現しているところはある。言いたいことは事実とは違う。そこの見極めがどれほどできるかである。物事を表面的に広く浅く追いかけることも必要であるが,本当の事実を知るために,深く追及することも時には必要なことである。屁理屈をこね回すのでなく,事実を素直に見抜く力を持ちたいものである。
環境問題を担当している人々
私の経験であるが,会社生活をしていたときも,環境という「錦の御旗」をバックに仕事をしている人がいた。環境に関して,一寸でも反対する意見(環境問題に反対するのではなく,やり方がおかしいことを批判するなど)を言おうものなら,世間全体を敵にするような悪者のように見られることがあり,誰一人面と向かって反対意見を言わない雰囲気があった。面と向かって反対意見を言うことが,大人げないようでもあった。彼らは,そうした環境に慣らされてしまって,自分たちが間違っていても気づこうとしないようになってしまっていた。
彼らが環境の専門家として,どれほどの知識を有しているかと云えば,極一部の専門的な部分は別として,それほど特別な環境知識を有しているようには見えなかった。専門家と云っても,精々ここ数年間である。もちろん,優れた専門家もおられるが,殆ど大半は,我々一般人と変わらない。ただ,云われたことをマニュアルに沿って進めるやり方を心得ているだけである。環境問題の議論を徹底的に戦わせることができる人など,殆ど皆無である。
多分同じような経験をされた方も多いのではないか。或いは,言っても環境のことで,会社経営全体には影響も及ぼさないから,社会から後ろ指を指されないように守っていてくれればそれだけで十分と思っておられたのかもしれない。いずれにせよ,「環境問題」に反対意見を言うことが御法度と云うのは,技術者としては回避すべきことで,事実を正しく見て判断すべきではないだろうか。
真の環境問題とは?
本当の環境問題は,ゴミを分別することでもなく,環境アセスメントを実施することでもない。我々自身,経済成長を中心にそれだけに邁進したツケが環境問題を引き起こしていることを,素直に反省する心になることである。その反省もなしに,環境のルールを決め,遵守すべきと声高に,「錦の御旗」をバックに言うのは如何なものか?
環境問題を純粋に,次の世代のことまで考えて行動している人がどれだけ居るだろうか? たぶん,純粋に,真剣に取り組んでおられる方も多いだろう。しかし,政府や公共の助成があることに目を付けて「環境ビジネス」を目論んでいる人が居ることも事実である。その多くが,環境中心ではなく,ビジネス中心で,環境をエサにして金儲けをしようと企んでいる。そうしたことに対して,表面的ではなく,内容までしっかりと見極め,真に「環境問題」を是正できるような社会になるよう我々自身が自ら律することが重要である。
「もったいない」と云う言葉がある。我々が小さいときから,両親や祖父母から教えられたものであり,我々の世代は身に付いているはずである。しかし,それを子供たちの今の若者にどれだけ伝承できているだろうか? 私自身も深く反省している。モノが無かった時代に子供時代を過ごした団塊の世代,それが自分たちが親となった時代は,モノ余りの時代で,使い捨てが一般化していた。したがって,子供たちに「もったいない」という言葉が持つ意味を十分伝えられていない。
たまたま,ノーベル平和賞のマータイさんが,この「もったいない」と云う言葉の持つ意味に深く感動され,広く普及されているが,恥ずかしい限りである。アフリカのケニア出身と云うから,この「もったいない」と云う感覚を肌身で感じられたのではないか。「もったいない」と云う言葉が,何よりも環境問題を一言で表現していると感じられたようである。
この「もったいない」と云う言葉は,我々団塊世代のものが,それぞれ自分の子供に伝えておくべきものだったのである。この言葉には,環境問題と云う前に,モノのありがたさ,大切さを一言で表している。この気持ちが失われてしまったことが,真の環境問題ではなかろうか?
「環境問題」は非常に重要な問題である。それだけに,人間として真摯に問題を受け止め,自分に何ができるか,それも表面面を装ったものではなく,中身まで十分知った上で,正しい行動を起こすことが求められているのではないか。
6月から環境月間が始まります。じっくり考えては・・
[Reported by H.Nishimura 2007.05.24]
Copyright (C)2007 Hitoshi Nishimura