■「フラット化する世界」 2 (No.011)

さて,本の中身であるが,世界をフラット化させた10の力を詳細に説明されている。それらは以下の通りである。

  1. ベルリンの壁の崩壊と創造性新時代
  2. インターネットの普及と接続の新時代
  3. 共同作業を可能にした新しいソフトウェア
  4. アップローディング:コミュニティの力を利用する
  5. アウトソーシング:Y2Kとインドの目覚め
  6. オフショアリング:中国のWTO加盟
  7. サプライチェーン:ウォルマートはなぜ強いのか
  8. インソーシング:UPSの新しいビジネス
  9. インフォーミング:知りたいことはグーグルに聞け
  10. ステロイド:新テクノロジーがさらに加速する

これらを順番に説明することは避け,経験を通じて感じたことを述べることにする。

ベルリンの壁の崩壊

先ず最初の「ベルリンの壁の崩壊」であるが,私のイメージは,世界を支配していた資本主義と共産主義の対立の象徴が東ドイツの首都ベルリンにあったと歴史で学んだ記憶がある。昨今では米ソ冷戦時代と云っても知らない若者も増えてきているが,ベルリンの壁を挟んで西側が米,英,仏などの資本主義,東側がソ連の共産主義であった。ソ連の共産主義の内容は十分には把握していないが,ゴルバチョフによるペレストロイカによって,民主化へ大きく揺らいでいく様を,新聞,テレビで見聞きしていた。

それよりも小学生の子供の頃から印象に残っているのは,米ソ冷戦時代であったが,宇宙開発競争に両者がしのぎを削って競っていたことを想い出す。小学5年生だった私にとって,初めてソ連が人工衛星を打ち上げ,地球を回る軌道に乗せた。(スプートニク1号 1957.10.4)その後,ガガーリン少佐が人工衛星に初めて乗って「地球は青かった」と語ったときの感動は未だに記憶に残っている。(1961.4.12)子供の頃の記憶は,米ソ宇宙競争時代と云った方がピッタリする。

社会人になり視野も広がり,政治経済にも幾分か関心を持つようになっていたので,共産主義の崩壊の象徴としての「ベルリンの壁の崩壊」(1989.11.9)は,壁の上に上って自由を叫ぶ人々が映し出された映像は,何度となく繰り返し繰り返し見せられたので,未だに脳裏にこびりついている。確かに,世界が一つになった瞬間ではあったが,単なる歴史の一ページでしかなかった。

それを著者は,「フラット化する世界」の第一に挙げている。そのように云われてみると確かに,これまでの閉じられた世界から,今日のような開けた世界になった大きなきっかけであったことは事実である。自由主義経済へ向かう道をフラットにし,世界の人々が自由に行き来できる世界が広がったことは,特に,BRICS(インド,ブラジル,中国,ソ連)の何十億と云う人々に,それまで抑えられていたエネルギーを放出させることになったのである。

インターネットの普及

二番目に挙げられているのがインターネットの普及である。パソコンとWindowsによるネットワーク革命で,接続が飛躍的に進歩し利用が拡大していった。その第一が,低コストのグローバル接続ツールであるインターネットの出現である。これが,インターネットにアクセス出来る人間なら誰でも,個人が投函したデジタル・コンテンツを受け取ることができる魔法のバーチャル世界,WWW(World Wide Web)が登場した。これがフラット化の力となったのである。

私のインターネットの経験は比較的早かった。1993,4年頃(確かな記憶はない),会社でも情報システム部門のごく一部で使われ出した頃,会社のパソコン(それもMACだった)から,初めてインターネットに,ネットスケープ・ナビゲータで(まだ,インターネット・エクスプローラはなかった)接続の仕方を教えてもらった。インターネットなるものがどんなものかも判らず,ただ,NASAのサイトにアクセスして,地球の鮮明な画像がパソコンに映し出されることに非常に興味深く見た記憶だけはある。

パソコンの出会いから始めると長くなるので別の機会として,仕事上,パソコンと云われる前の「マイコン(マイクロコンピュータ)」の時代の,TK−80(トレーニングキット NECより発売。16進キーボードと8桁のLED表示器が付いたむき出しの基板)に始まり,パソコンと云われるようになったPC-9800Fの購入,ノートパソコンの初代PC−98001Nを職場に持ち込み,1991年頃からは,ノートを一切使わず,今でこそ珍しくないが,会議にノートパソコンを持ち込み,メモを取っていた。当時のノートパソコンはHDDもなく,FD中心であったが,それでも最も軽いソフト「松」(ソフト容量が500KB程度),その後はテキストエディタの「MIFES」を使ってメモを取っていた。もちろん,OSはWindowsではなく,MS−DOSであった。会社ではMACを使っているグループが結構おり,Windowsも初期のものは使いづらく,Windows95になってMACに並んで使い勝手が良くなった。

と云うわけで,当時からパソコンを使いこなし,メールは始めていたが,インターネットは初めての経験であり,こんな世界があるのか,とは感じたが,まだまだ幼稚なもので遊びに興味本位で使う程度でしかなかった。もちろん,今日のようにインターネットがこれだけ普及するとは夢にも思わなかった。やりとりが双方向とはいえ,ダウンロードとアップロードではスピードが違い,あくまでも閲覧するものであった。凡人にはそのようにしか感じ取れなかったが,世界には既に今日の将来を見据えていた人間がいたのである。マイクロソフトがインターネットに遅れをとっていたが,ネットスケープ・ナビゲータの牙城を,ビル・ゲイツの一声で,インターネット・エクスプローラを開発,Windowsに付属させて普及させたのは,先見の明の何者でもない。

インターネットを自宅で始めたのはいつ頃だったか定かでない。会社で見て,余りたいしたものではないとの感覚がそうさせたのかも知れない。電話回線はダイヤルアップであり,プロバイダーと契約し,テレホーダイ(23時〜翌朝8時までが一定料金のシステム)を利用していた。しかし,アナログのモデムでスピードが早くても56kps程度であり,静止画像をダウンロードすると,上から順番に掃引するように画面が表れると云った状態だった。しばらくして,アナログ回線からINS回線になり,自宅の電話番号を変えずにISDNを普及させようと云う動きがあった。(1997年) これはと思いすぐに申し込むと,専用回線の工事にNTTからやってきた。「自宅で仕事をされているのですか?」と聞かれた。当時では,ISDNの普及はそれほど進んでおらず,通常一般家庭でISDNに切り替える家庭は珍しかったようである。

個人的にはインターネットには,比較的早い段階から自宅でも使うようになっていたが,当時,日本全体ではネットワークの整備が遅れており,米国,韓国などを初めとして多くの国よりも料金が高かったと記憶している。国を挙げてネットワーク整備に力を入れようとしていた。21世紀になり,ADSL,光ファイバーの普及も進められ,次第にネットワークの利用が本格化していった。

パソコンの初めは,ハードの機種が違うとソフトウェアも違うと云ったもので,データの共有化が難しかったが,Windows95の出現以来,共有化が図られるようになったが,インターネットは最初から,どのパソコンでも同じように見ることができ,ブラウザの違いは多少あったものの,ネットワークとしては何ら不都合はなかった。最初は興味半分でインターネットを始めた人も,ネットサーフィンと云う言葉があるように,インターネットの中にはまり込んで行くのだった。実際,覗きかけると次から次へと深みにはまって行くような気持ちだった。私を初め,通常一般の人は,誰かが作ったものを見ることがインターネットであった。個人がユビキタスにネットワークへ接続し,自由に表現する世界がこんなに早く来ようとは思わなかった。

私の経験を長々述べたが,インターネットが日本でも始まって約10年,多くの人が本格的に使い始めたのは21世紀に入ってからで,未だ数年程度である。しかし,後にも述べるが,インターネットを使うことが日常茶飯事とまでは行っていないが,少なくとも日常生活の必需品に近くなりつつある。しかも,まだまだ進化していくであろうと思われる。使う頻度は年代格差があるが,我々の次の世代,現在の30代世代では,外食の店を探す,旅行の計画を立てる,列車の時刻表を見る,料理のレシピを探す,知らないことを調べる,本を探し・買う,同じ趣味の仲間をつくる・・など,挙げだしたら限りがないほど,インターネットを使っている。我々の世代が,日常生活にテレビが普及したように,インターネットが普及している。テレビとの決定的な違いは,テレビが放送されているものを見ると云う受け身的なものであるのに対して,インターネットは自らが求めるものを探すと云う能動的なものであることである。

予想することがなかなか難しいが,もう10年もしない内に,一家に何台もテレビがあるように,インターネットが一家に何本も(何本という表現は当たらないが,一人ひとりが個人持ちのパソコンでインターネットを楽しむと云う),と云う時代が来るだろう。そうすれば,我々がテレビのニュースなどで海外の諸事情を見聞し,視野が広がって行ったように,我々の次の世代の子供たち(孫たち)にとっては,テレビの情報以上に,インターネットを使って,自分の興味を持ったことを探し求めることが当たり前になり,その視野の広がりは,我々世代とは比較にならないほど,広範囲,かつスピーディになっている。そんな世界の変遷を一代で経験できるのはすばらしいことでもあるような気がしてならない。

(続く)

「ベルリンの壁の崩壊」,「インターネットの普及」は,あなたにどんな影響を与えていますか?

インターネットはどこまで進展すると考えていますか?

 

[Reported by H.Nishimura 2007.04.12]


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