■製品安全について 1(No.007)
ガス関連製品の事故が報道されている。人の死亡事故につながった数がきっちり報道されていなかったことにマスコミが飛びついているように思われる。テレビの報道などを見ていると,好き勝手なコメントが行き交っている。今回の事故を調査したわけでもないので,事故の原因や責任については,何一つ述べられないが,技術者として製品安全に関して,少なくとも電子部品の安全に関しては,いろいろ勉強したことがあるので,製品安全の一般論を述べてみたい。
製品の安全は技術者の基本中の基本
不幸にして今回の事故は発生したと思われるが,少なくとも技術者にとって,製品の安全性に関しては最優先で検討され,設計においても基本中の基本である。技術者である限り,誰も不安全なものを作ろうとはしていない。しかし,ここで注意したいことは,“本質安全設計”になっているかどうかである。このことを技術者は真剣に考えて欲しい。
本質安全設計とは
製品の善し悪しは60〜80%程度が物を作る側の設計によって決まると云っても過言ではない。製品の安全性についても,同様に設計の占める比重が圧倒的に高い。設計段階で製品の安全確保のための検討を十分実施していれば必然的に欠陥のないより安全な製品が作られることになる。製品の安全性を確保するためには,製品自体の安全設計によって,危険を極力排除することが先決である。もともと,危険は製品とその使用者,消費者ほか第三者を含む人間とが同一時間においてその接点を持つことから発現するものであるため,製品の安全確保の観点から危険防止を考えた場合,最良の対策としては,危険発生源を根本的になくすような本質安全設計が求められる。
そのためには,次のようなことが考えられる。
@危険分析 : 製品安全を検討する上での基本事項の一つである。頭の中だけでなく,いろいろな条件下で検討すること。
A人間工学 : きめ細かな人間工学的な配慮に基づく製品の安全設計が最も重要である。
B信頼性 : 製品安全の観点からは信頼性の高い製品で,且つ故障が生じても安全サイドに機能して安全確保するものであること。
C安全装置・安全機構 :
本質安全設計が第一だが,得てしてその対策が困難な場合がある。その場合には,安全装置などで安全確保する。
また,安全確保の手順としては,次のステップが推奨されている。
@安全レベル目標の設定 : 業界,社会通念,公的規格,類似製品などを参考に目標を明確化。
A危険の摘出と予測 : 人間工学の分野から危険を分析。故障のメカニズムを予測,FTA,FMEAの手法を活用。
B安全確保 : 本質安全の確保(不安全要素の除去・低減),フェール・セーフ,フール・プルーフ設計,安全装置,危険の見える化
C安全性の評価技術 : 安全性チェックリスト,FMEA,FTAの実施,対策確認
D安全性の維持技術 : 警告表示(ラベル,取扱説明書など),保全(予防保全,事後保全など)
*本質安全や安全装置など安全の努力をせず「コストアップ」を理由に,警告表示や取扱説明書などで安易に肩代わりするようなことがあってはならない。
安全は作る側,使う側の協力で成り立つ
事故に対する安全確保の概念図(OKA−トライアングル)がある。
これは安全確保をどのようにしてやれば良いのかを簡潔明瞭に示した図である。事故の多くは,誤使用と云われる部分で発生し,製造側の責任か,使用者側の責任かが問題になる。上図に示されるように,“予見可能な誤使用”までは,製造側の責任であり,非常識な誤使用は,使用者側にあるとされている。ここで問題となるのが,予見可能だったのか,非常識だったのかの判断である。
もう一方で,安全と利便性のどちらが優先されるか,と云う問題がある。端的な例は,ナイフである。これは生活の必需品である。ところが,使い方によれば殺人の道具にもなりうるものである。これを危険なものと認定するか,便利なものと認定するか,見方によって変わるが,利便性を採用して世間一般に販売されているのである。自動車もそうである。あれだけの交通事故が発生しているが,必需品と認められている。(もちろん,安全に関しては,十分な予防がとられ,リコール制度なども充実している)このように,予見可能(人を殺す道具にもなり得る)な使用方法でも,非常識な誤使用と世間一般が認めているものもある。
ここで難しいのが,この非常識な誤使用と云うのが,必ずしも誰が見ても明らかな基準ではないことである。非常識(=常識でない)をどのように,誰が判断するのか,と云う問題である。世間一般の常識だから,消費者側の見解に近いと思われるが,製造側と消費者側では必ずしも一致しない。裁判の経験はないが,一般的には,これまでの先例や公的機関の説明事例などが判断材料にされるようである。
ガス事故の例で云えば,密室で使われる場合,一酸化炭素中毒の危険性があることは常識とされている。一般の批評家は,そんなことが判っているならば換気扇と連動するようにしろ,と云った自由奔放な意見まで出てくる。技術的に見れば,できないことはない。しかし,そのようなものが,価格対価として消費者が買ってくれるものかどうか。たぶん誰も買わないだろう。事故に遭うと思っていない人が,わざわざ高いものを買わないだろう。安全装置が付いていて,危険性があれば通報してくれるもので十分だろう。
どこまでが製造側の責任かについては,意見は分かれる。安全装置が付いていたにも拘わらず作動しなかった場合である。通常の使い方でも長年使っていると寿命のあるものもある。しかし,性能そのものなら仕方ないで済まされるが,こと安全に関しては寿命だったから仕方がないと云うわけにはいかないのである。製造側は,ライフエンドの動作までしっかりと安全確保する責任がある。特に気をつけなければいけないのは,長期間の使用による劣化である。たとえ劣化しても,不安全にはならないような設計にしておかなければならない。この見極めは非常に重要であり,且つ想定が難しいものもある。ガスのような空気の流れがあるものは,当然ゴミによる目詰まりや水分による錆など長期間が故に発生すると考えられることは,かなりの幅があり,それらを予見しておかなければならないのは云うまでもない。
ただ何でも全て製造側と云う考え方には賛同しかねる。なぜならば,安全は,作る側,使う側,どちらか一方だけで確保しようとするととんでもない実用的でないものになってしまう。お互いが協力し合って初めて安全確保ができることを,社会の全員が共有し合うことが大切である。
(続く)
本質安全を目指した設計ができていますか
作る側,使う側の協力がなければ,正しい安全確保はできない
[Reported by H.Nishimura 2007.03.15]
Copyright (C)2007 Hitoshi Nishimura